2008-07-18

はじめの定義が受け入れられない。

サイエンスカフェでの参加者の質問や、サイエンスものの読書の感想を聞いていると、読み手が、科学者が最初に提示している「定義」を受け入れないまま、最後まで聞く、または読んでくれていることがある。しかも、どちらかというとよくあることのような気がする。

明言していない人も含めると、実は最初の定義に納得していない人は、ほとんど全部なんじゃないか、と思うことすら、私には少なくない。

しかしこれは実にソンなことであるし、せっかく話を聞いてもそのエッセンスをだいぶ逃してしまうように思うのですよ。

科学者は、はじめに定義を置くことによって、その先に解明すべき道を拓く。そして研究の推進によって、あることがわかる。で、その先になにがあるのか、というところで私たちと出逢う。一般講演でも、サイエンスカフェでも、サイエンスものの書物でも、開かれたこのようなソフトウェアはみんな、基本的にはこの構造をしていると思います。

ところがそのスタートラインの定義が、「わたしの定義」と違うと言ってしまうと、その科学者の上になぜ研究の道が拓かれたのか理解できないし、解明されたことの意味や意義も問うことが出来ない。それは気ままそうに見えて、実はあんまり面白くない聞き方なんじゃないだろうか。

これを逆手に考えれば、定義がちゃんとしていない人の話は、やっぱり信用できない、というふうに確からしさを測るものさしにもなります。そうやってひとつひとつ自分で判断していく生活って、やっぱり気持ちよいと思いますよ。

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