2012-05-30

論理学がブームになりそう。



武器としての決断思考 (星海社新書)
クリエーター情報なし
講談社


話題のこの本は京都大学での講義を書籍化したものだそう。
ディベートのしかたということですが、
ツールは論理学です。

ところで本の最初にもでてくる「Liberal Arts」で、
かつて、私も「論理学」とりました。
成績は「B」だったように記憶。
成績のことを書くとろくなことはありません。(笑)

ところで、中学受験の予備校「四谷大塚」のサイトで、
2012/05/11にスタートした読み物記事が充実。
会員登録(無料)すると全文表示されるしくみなので
直接リンクしないかもしれませんが、
これも論理学です。

四谷大塚 DreamNavi net
磨けば一生役立つ力になる
論理力の鍛え方

東大での授業を、6人の小学生向けにアレンジしたら……
というわけで、まずは例題から、記事が始まります。

2012-05-27

16th Annual WEBBY AWARDS



16th Annual WEBBY AWARDSは、
5月21日にニューヨークで授賞式が行われたそうだが、
今回は、Steve Jobsトリビュートだったようである。


Special Achievement Awards
Webby Person of the Year: Louis C.K.
Webby Artist of the Year: Björk
Best Actresses of the Year: Juliette Lewis and Graydon Sheppard of "Sh*t Girls Say"
Webby Breakout of the Year: Instagram
Webby Agency of the Year: BBH

なんかすっかり落ち着き払った雰囲気になっているけど、
最初の頃はもっとどさくさした雰囲気のイベントだったような記憶があります。(笑)

2012-05-25

そのまんま、レタスですって。



いや、傘なんです。
おもしろいなあ。なんで思いつかなかったんだろ。
「見立て」ごころを刺激する、
その名は「ベジタブレラ」というのだそうです。

2012-05-23

インド、ロボット→もしかして仏像!?


プログラミングで、アメリカを「太陽の沈まぬ国」にしている(!?)インドから、『ロボット』という映画が話題になっている、というので予告編を観たのですが。

いやまったく、語り尽きないような映画でした。

wormタイプのロボットとか、ユニット化したたくさんのロボットが協働してタスクをこなすとか、いろんなロボットがダイジェストされていて、しかも追われている男性がやたらとsmartだなあと思ったら、ロボットを生んだ博士という、ロボット映画必定の登場人物だったんですね。

このロボットと博士、予告編前半のシメにヒロインが「似てる……」とつぶやくのですが。

インドのテクノロジーと娯楽への自信たっぷり。それから個人的には「仏像感」満載という印象も強くて、いやあ、とにかく気になる映画です。

2012-05-21

金環日蝕でした。


photo by keiji

[東京の金環日食2012/05/21]
食の始め:6時19分02秒
金環日食の始め:7時31分59秒
食の最大の時刻:7時34分30秒
最大食分:0.969
金環日食の終り:7時37分00秒
食の終り:9時02分37秒


2012-05-17

科学者インタビュー!?


科学者インタビューといっても、こちらは「extra-normal」ならではのバージョン。背景を選んで、登場人物を(1または2名)選んで、自由にセリフをタイプすれば、高画質アニメーションがつくれるサイトで、たくさんの人が「ためしに作って」作品をアップしています。アニメも一気に「工学的」な時代へ突入した観。一方にタイタニックのCGがすごい!といった世界があるなかで、個人の気軽なアイデアがぴぴっと実現できる、このようなツールのパワーに、とみに魅力を感じるこのごろ。

2012-05-13

家族には足りないものがある。


今朝、しばらくスーパーマーケットに買い物に行っていなかったので、近所の西友に行くことにした。ちょっと早めの時間。開店したてだが、まあいいだろう。最近、スーパーはどこも夜11時頃まで開いているから、朝早くにスーパーへ行かなければならない人が、さほど多いとも思えない。

ところが行ってみると、意外にもいろんな人が次々にやってきて、自転車置き場などはすでに満車という活況ぶり。日曜の朝、各家庭にはそれぞれ何かしら足りないものがあるんだなあ。かくいう私の場合は、「冷し中華」だったのですが。

2012-05-11

ウェブ上の憤死


以前から、運悪く死んでしまった人のウェブページはどうなるのだろう、ということが気になっていた。

たとえば人気ブログの書き手が、いつまでも生きているというわけではない。
もしメディアなら、誰かが同じようなテーマを引き継いで、表向きは何事もなかったように続けていける。けれどもブログの場合は、たとえば誰かが引き継いだとしても、生前のようにはいかないだろう。やっぱり何かが決定的に「止まって」しまうだろう。

SNSやデータベースに登録した場合もそうだ。あれはちょっと人物カタログのように見えるけれども、やっぱり生きている人が、自分の活動を少しずつでも追加しているから、そのツールが使われていることがわかるのだ。決してカタログのように静的ではなく、いつも動いている。

このようなケースは、今はさほど目立たないけれども、ある時期、たとえば20年、30年と経てば、よく起こることになっているかもしれない。

そのようなデータがどうなるのかというと、結局、アーカイブに入るだろう。ブログだろうと、SNSのページだろうと、データベースだろうと、特にそのページが消えることもないけれども、アーカイブの深い層の一隅を占めることになる。これまで「歴史に埋もれる」と表現されていたように、特に参照されることもなく「眠る」大量のデータが現れるわけだ。

ところで、そのように想像をたくましくしてみると、ふりかえって、では、いったい生きている人間らしい、ならではのウェブページって、何を発信するものなのだろうか?──それは「メッセージ」ではないだろうか。日付があり、状況がある中で発信されるメッセージ。ただの情報よりも、より強く、より濃く、メッセージ性のあるもの。

もちろんただの情報が必要なこともある。家電製品のマニュアルだとか、ソフトのインストールの注意点だとか、午後の降水確率や、大規模災害の続報等々……。けれども企業を含めた「私人(語義からずれて使ってしまってます)」が発信する場合、ユーザがなぜわざわざみにいくかといえば、直接に利害があるか、または単純に(生きている)人が何かやってるから、言ってるから、観に行く、読みに行くということだろう。これはこれまで「遊び」と表現されていたこととも重なってくる。(つと、話が飛びすぎてますが。)


このように考えると、たとえば企業サイトというものの制作方針も、また違ってくることがわかる。ちなみに先日勝間和代さんのサイトを久しぶりにみたら、監査と分析の企業サイトがなくなっていた。そもそもBtoBだけなら、ホームページなんか要らないというのも日頃感じることだ。


2012-05-02

「タマコンニャクウオ」


YOMIURI OLINE
ぬるぬると網すり抜けていた?新種の魚の名は…

北海道、羅臼沖で見つかったという新種「タマコンニャクウオ」。
命名の由来は「玉コンニャク」と「ウオ」が
くっついた、ということなんでしょうか(憶測)。
写真では、色つやはするめいかに似ているようにも見えます。
体調は5〜16センチほどだそう。
なんとも気になります。