2011-03-31

被災地の航空写真など

地図のどこまで津波が押し寄せてきたのか、いろんなデータがウェブにあがってきているようです。

BBC
17 March 2011 Last updated at 13:45 GMT
Japan quake: Tremor timeline


BBC
14 March 2011 Last updated at 14:59 GMT
Japan disaster: before and after


BBC
15 March 2011 Last updated at 11:56 GMT
Tsunami: Before and after images


国土地理院
平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震による被災地の空中写真

  • 青森県 三八地方沿岸(3月13日撮影)
  • 岩手県 沿岸北部(3月13日撮影)
  • 岩手県 沿岸南部(3月13日撮影)
  • 宮城県 沿岸北部(3月13日撮影)
  • 宮城県 石巻市周辺(3月12日撮影)
  • 宮城県 仙台市周辺(3月12日撮影)
  • 宮城県 仙台市周辺(3月13日撮影)
  • 宮城県 沿岸南部(3月12日撮影)
  • 宮城県 三陸海岸(3月19日撮影)
  • 福島県 沿岸北部(3月12日撮影)

2011-03-30

アメリカのロボット達が福島へ。

guardian.co.uk
Japan nuclear plant gets help from US robots
http://www.guardian.co.uk/world/2011/mar/29/japan-nuclear-plant-us-robots
Suzanne Goldenberg and Justin McCurry in Tokyo
guardian.co.uk, Tuesday 29 March 2011 20.04 BST

春めく、臨海地帯。


りんかい線というのに乗って、国際展示場駅へ(私用)。帰り道、京葉線のブリッジからの写真。

地震当日、東西線に乗っていたのでしばらく地下鉄──特に海底を通る──に乗るのがちょいと及び腰でありましたが、りんかい線にも京葉線にも乗ってしまいました。

JRの普通電車や快速ぐらいのもの、たとえば中央線などは最高時速100キロぐらいの性能で、私鉄でこのクラスの車両は……特急なんですね。ロマンスカー(小田急)とかスペーシア(東武)です。京葉線も乗っているとずいぶん速い感じがします。

あれだけ揺れたのに、こんなカーブをこれだけ高速に走っても大丈夫なのか。地震の後で、そこをなんとか大丈夫、と判断する技術力──しかも比較的短い時間で──というのは、たいへんな努力だと思います。

たとえばコドモに教える時などに、「どうして安全と言えるのか」「どこまで”もしも”を考えたらいいだろうか」というふうに一人一人に考えてもらうのもいいかもしれません。

2011-03-29

むいさー、東京。

むいさー(寒い)でした、昨日の都内。ふだん右コラムのブログパーツ天気予報で見ている数値で、10度程度だったらさほど寒くという感じはないのだけれども、たぶん計画停電と節電のおかげでしょう。

都内であればふだん、まあ5分もすれば、とても暖かい場所──駅や建物の中や地下通路や交通機関の乗り物の中など──へ移動できるので、体が冷えてしまわない。

ところが昨今、ビルの中などでも暖房を入れていないところがかなり多いですね。駅のエスカレータも停止中。地下の深い地下鉄駅などだとそれなりにたいへんでしょう。さあ、この階段を昇るか、と見上げれば……生命力にスイッチが入りそうです。。


おおっ、電車の中も消灯してました!

2011-03-27

南三陸町、再建へ。

南三陸町のホームページが更新されています。
東北地方太平洋沖地震に係るプレス発表資料 (2011-3-25)
東北地方太平洋沖地震被災者救済義援金について (2011-3-23)
町からの重要なお知らせ (2011-3-23)

トレサビリティという語がありますが、野菜もそうだけど、募金のその後というのもちょっと気になったりします。たとえば大きい町には手篤くて、小さい町だとどうなんだろうか、とか。上記の例のように町が町の再建に使うというのなら、トレサビリティも何も、明瞭です。ウェブというツール、無名の人からたくさん集められるということがもしかしたらあるかもしれないけれども、人から人へ、ダイレクトに集められるというよさにも注目したいと思います。

2011-03-26

ハトを観察する。


コドモの絵です。ハトの「置物」のドローイング。

手帳と、今月の座右の銘

座右の銘って、「月替わり」なものなのか? という疑問もありますが(!)、使い始めた手帳のフォーマットに、今月を総括するページ(むしろ目標を書くみたいな趣旨なのですが)があって、なんか「空欄」があると「埋めたくなる」という手帳心理が与ってか、ままよ、と始まっていたのであります。

2011/01
 まず隗より始めよ 

2011/02
 他山の石(としての私) 

2011/03
 ウドのつるに茄子はならぬ 

でございます。
こうやって並べてみて思ったのは、これ、もしかすると来年も同じような発想したりして、かなり周期的なものなんじゃないかってこと。ということはあまり進歩がないから、そこでなんか知恵を出そうとするところに、効用があるんじゃないかと。農業についてかつて、1年でやっとこれだけわかって、少しずつ進歩する、と気づいたときに、農業という営みが少し理解できたような気がしたけれども、このだんでいくと、農業のひそみにならって、であります。

写真は栽培二年目のカシス。
→この鉢植えの前回の写真はこちら

2011-03-25

USTREAMにサンプル続々。

ガイガーカウンターを機に、遅ればせながらのゆーすとコンシャスになってまいりました。いろいろアップされていますね。いま、ローマと長野の上田市が同じくらい。

2011-03-24

完成されたものとはどこだろうか?

最近、とうしろうなりに音楽をやっていて思うことは──まあ料理の時もそうだったんだけど──プロは完成のイメージを持っており、アマチュアは自分ができたところが即完成であることだ。(笑)

ふりかえると、世の中にワープロというものが登場したときに、自分の原稿が「活字で読める」ということに驚喜した人は多かったと思う。私もうれしかった。けれども同時に中学の時に短期間だが交換日記をしていた(なんて過去!)人の、その活気ある伸びやかな筆跡をも思い出さずにはいられなかった。そう、当時、ある意味、筆跡の優劣と文章の質とは何の関係もないことを発見せざるを得なかったからだ。

バンド演奏に比べると、言葉は、とっても簡単にできた気になれる。アスキーコードのおかげというか、たぶんそういうのは言い方がよくなくて、言葉というのがそもそもたいへんに「記号」だというところから、ずるずると導かれてくるものと思う。そういう記号を扱えるのはまこと人間の能力なのだなあと思います。

……ということを、実はいまUSTREAM(「向谷実&和泉宏隆 ピアノ連弾」)を観ていて思った次第。これはリハのベタ収録(ライブ配信のアーカイブ)なのですが、プロセスの配信、部分の配信によって、「で、本番はどうなったんだろう」「で、全体としてはどうなったんだろう?」ということを人は思いますね。

記号と再帰—記号論の形式・プログラムの必然
東京大学出版会

Everyone Here Spoke Sign Language: Hereditary Deafness on Martha's Vineyard
Harvard University Press

2011-03-22

放射線がこわい→計測してみる?

原発のニュースが続く昨今、当ブログの右コラムを整理して、いろんな情報にアクセスしやすくしてみました。

放射線は「目に見えない」ことは間違いないし、その量によっては人体に影響を及ぼす点で「目に見えない敵」でもある。しかし、目に見えないことは、絶対にわからないのかというと、そんなことはないですよね。たとえば銀行に預けたお金の総額を「札束」で「見た」ことはないけれども(またいした量じゃないから気にもならないですが)、それはATMへ行ったり、通帳に記帳したりすれば、数値として記録してくれる。

このくらい簡単な意味で、目に見えないものを計ってくれる便利な機器というものはたくさんある。たとえば温度。これはたしか赤外線で、遠隔で体温を測る体温計ってありますよね。あの調理用というのを、厨房へ行くと料理のプロの方がよく使っています。

シンワ 放射温度計B レーザーポイント機能付 73010
価格:6,050円
シンワ測定

放射線を計測するガイガーカウンターは、さすがに温度計ほど安くはないようですが、それでもコンパクトで、パソコンにつないでデータを管理できるようなタイプもあるようです。

もっとも自分でデータをとらなくても、ウェブでデータを公開してくれるところもあります。右コラムにも入れました(つくば)が、ウェブらしいこんなページもあるようです↓

Rocket News 24
首都圏の各地に設置されているガイガー・カウンターを生中継しているサイト
http://rocketnews24.com/?p=81958


なおデータの数値は見方についても、右コラムのリンク先のいくつかが私は参考になりました。どうぞご自身の判断でご活用ください。

これが昨晩の銀座です。

灯りが消えて、東京はしょんぼりしています。

銀座の地下。アムステルダムの工房主、レンブラントの光と闇も、雨漏りバケツの向こうに。

2011-03-17

花粉のピークは1日2つあるんだそうだ。

この季節、花粉情報を、千駄木で測定してアップしてくださっているサイトをよく見ている。(当ブログの右コラムにリンクがあります)

ちょっとわかりにくいのだが、多い日にはくっきりと2つの山になっているので、これはいったいどうなっているのだろう、なんとなく11時頃と3時頃だろうか、などと思っていた……。

いやそうではなくて

花粉量のピークはお昼と夕方の2回

なんだそう。情報源はこちら↓

tenki.jp
花粉のピークは1日2回!?
http://tenki.jp/forecaster/diary/detail-3074.html

いろいろな集金活動が立ちあがっているようだ。

今回の地震は、地震そのものがたいへん大きな規模の自然災害であり、しかも地震発生から非常に短い時間で、大規模な津波が到着した。地震だけでも、たとえば比較的記憶にあたらしい阪神淡路と比べても、規模がちがう災害に見舞われた。ということはわかっているようで、ではどのくらい大きくて、その大きいところでのどのくらいの違いが、どれだけの被害の違いを生むのかといったことは、私にはあまりよくわからない。

そこで知り合いの科学者の方などにちょっと聞いてみたりすると、やはりもうぜんぜん違う規模なんだよ、というふうに教えてくれたりする。科学者のいいところは、そういう本当は体験しなければわからないようなことを、頭の中ででもこういう数値であれば規模はこのくらいだろう、と予測し、イメージできることだ。そして「実際に体験している人はすごかったと思うよ」という想像力と、実際にはまだ未検証であることも忘れない。

そういうわけで、まずは非常に大規模な地震と津波だったということを覚えておこう。そして平時からあんなにも備え、自分たちや地域の人たちを救おうとしていた被災地の人たちが、多くの身近な死と生活の基盤の喪失を体験しなければならなかった──このことに、やはり私は特別な同情を禁じ得ない。

というのも、私はテレビを見ないので極めて断片的な情報しかないのだが、災害発生からあまり時間が経過していない段階で、被災地の人々がマスコミに話しているその様子がとても静かで落ち着いているので、これはどうもお金が集まらない、と思い込んでしまった。こういう東北のことを私たちは、これまでも、あまりにもすぐに忘れてしまってきたのではないか。

東京ではそのあと、なんだかよくわからない間にスーパーの棚が空っぽになるなどいわゆる「買い占め」が起こったが、これはある意味、東北のことを一度自分と「切り離し」たためだろう。私はうまれてこのかた東京近郊に暮らしているけれど、いま、これほど東北を近いと感じたことはない。彼らの平板な話しぶりに、東京弁の来し方を聴く思いがする。──こういったことが今回の地震に対する私の反応の心情的、あるいは感傷的かもしれない側面の概要なのだ。

2011-03-16

花粉とたたかう東京的日常のなかから。

Googleで、仙台の最新ついーとを読んでいたら、東北大学の学生さんたちがたくさん投稿していた。東北大学や北部市街など内陸部と沿岸部では様相が違うと複数の方が書いている。おすすめの情報源@YouTubeなどをみてみる。

コミュニケーションをやろうというときに、これから「コンテンツ」という感じじゃないなあ、と実感。

そもそもウェブという「コンテナ」が、どんどん「トランスペアレント」になっていくなかで、「コンテンツ」というユニットが変化しないはずがない。専門性には技術がつきものなんだけど、その技術は核心だけ残してどんどん「入れ替え」ていかないと。省察。

ところでそのオススメの動画をとうとう最後までみてしまう。

消費税プラス1%で、東北被災地へ二兆円策

あ、そういうふうに集めていただけるとうれしいです。

なお昨日は今年最大の花粉量を記録@東京 http://kafun.taiki.go.jp/GraphSeason.aspx?MstCode=51300200&AreaCode=03

2011-03-15

コンテンツとコンテナ。

非常時にコミュニケーション部門がなぜ無力かというと、原則的に、私が担当するような「コンテンツ」というのは、「コンテナ」がなければ、そもそも届くわけがない。たとえばウェブ上の記事ならば、そもそもウェブページが見られる環境が存在しなければ読んでもらえることはありません。

つまり、非常時というのはその「コンテナ」がないからどうしよう、という時であるからして、「コンテンツ」なんか二の次ということになります。

「コンテナ」を確保するということは大事ですよ、というのは平時でないと行えない。さきほどの例で言えば、ウェブページが見られるためには、少なくとも電力と通信環境がなければならない。電力は充電しておくこともできるけれどもいつまでも持つわけにはいかないに決まっています。

しかも人命救助というのはその電力だのを顧みる猶予の生まれるずっと前、もっと重大な迫り来る危機に直面している段階であることを考えると……非常時のコンテンツとは、まさにおよびでない、としか言いようがありません。


ただこのことを逆に考えると……ある程度「コンテナ」が確保されはじめ、情報も流れてゆき、さあいよいよ町をどう再建していこうか、という時になれば、むしろ「コンテンツ」の出番と言えるのかもしれない。

テレビなどで見ている限り寡黙な東北の方は、大々的な集金キャンペーンを行わないかもしれないけれども、その時になってこそお金は必要だろう。地道なコンテンツでじわじわとお金を集めることができれば……そんなふうな貢献のしかたもあるかもしれない。

地震発生時の放送局内映像。

非常時のコミュニケーション部門ということで、唐突に思い出したのが、よく地震のニュースで放映される、NHKなどの地方局のオフィス内の映像だ。

これほど動画というものが身近でなかった時代に、それは「どれほど揺れたのか」を端的に伝える映像だった。いつもの、あたりまえの物たちが突然にどうなるのかをくっきりと教えてくれた。そして慌てている人も、何か新しい行動を取ろうとしている人も、何もかも見せてくれた。

放送局に入社した新人時代に、地震の時についてのなかなかのエピソードを持っている方が、かなりいらっしゃるのではないだろうか。

今ふりかえると、あれはひとつのコミュニケーション部門、つまり伝える側の、心意気のひとつだったと思う。

コミュニケーション部門の非常時。

科学コミュニケーションとしてできることを考えようというメーリングリストが回覧されてくる。と、同じ日に、「ほぼ日」で糸井重里氏のメッセージを読む。

 まことに、非常時向きでない人間なのです。
 玩具とおなじ、不要不急の人間ですし、
 そういうふうに生きてきました。
 好んでそういう道を選んでいますし、
 そのことに誇りさえ感じております。

──ほぼ日刊イトイ新聞「今日のダーリン」2011/03/14より

科学と広告のコミュニケーションをやっている自分は、どちらかというと、糸井氏のほうに親近感を覚える。「科学」とついているから「コミュニケーション」も何かできるような気がしてしまうけれども、今は平時に増して無力さを全身で感じ取っている状況。

 現地の、いちばん大変な思いをしている人たちの
 邪魔にならず、役に立つにはどうしたらいいか。

──ほぼ日刊イトイ新聞「今日のダーリン」2011/03/14より

と、上記は同じ引用元から。このことを思うと、やはり「危機」のときに「コミュニケーション」部門ができることを考えないわけにはいかず、それによってたぶん「科学コミュニケーションとは何か?」を修正することにもなるだろうし、それによって自分の適性も再判断しなければなるまい、という次第は猫でもわかります。

しかしながら引用元のこのような文章は、
この人が本気になったときに、
語りたいことを、いかに少ない文字数で語れるかを
見せつけられる思いがします。

あ、それと、こういうことを考える時には、議論よりも糸井氏のように「ミーティング」のほうが、行動しようという人には参加しやすいのではないかと。

こんなにも備えていた南三陸町のこと。

安全時に地震を想定し、津波を想定し、被害を予測し、町民がとるべき行動の指針を明示する。マグニチュード8.0もの大規模災害まで予測していた東北の小さな町、南三陸町のホームページは、災害時も今も、アクセス・閲覧可能だ。


南三陸町ホームページ - 宮城県沖地震の第3次地震被害想定(概要)
http://www.town.minamisanriku.miyagi.jp/modules/benri01/index.php?content_id=219


謹んで救援と復興をお祈り申し上げます。

2011-03-11

名付けること、がコピーライティングならば。

これはちょっと長い話になってしまうかも。

桑沢デザインというデザインではとっても有名な学校が

「くわさわ生活。」

という広告(内容は卒展覧会とか、学生と卒業生の企画展とかいったものだったと思う)を見て、見ればわかるのだけれども、つまり、これは、かつての西武百貨店の名コピー(ほら、アンディ・ウォーホルが掲げていた……)「おいしい生活。」が本歌に間違いない。ちなみにこの「おいしい生活」原本も毛筆の筆跡で、現在イトイ新聞のオフィスに掲げてあるようであることが、ほぼ日刊イトイ新聞の記事を見るとときどきうかがわれる。

なんでそのくわさわ生活に出会ったのかといえば、それは「若林直樹」を検索していたからなのだが、その話はおいておいてと。

本歌の「おいしい生活。」は──ウィキペディアによれば1982-3年──当時、さまざまな媒体に掲載されていた。私は地下鉄──たぶん有楽町線だと思う──で、比較的小さいサイズのものを見たのを記憶している。その世の中にうようよしている何かの「感じ」というものを(若い時というのはそういうものを感じがちなのだ)こんなふうに凝縮してしまうのか、その凝縮ぶりに唖然としながら、立ったまま何駅ぶんも眺めて過ごした。それがたったの(句点を含め)7文字になってしまうのなら(ビジュアルがあるとはいえ)小説なんか要らないよな、と思ったのを覚えている。ちなみに、村上春樹の「羊」の単行本が出たのも1982年、このふたりが『夢で会いましょう』で共著したのが1981年だ。

いやはや、そんなのもウィキペディアのおかげですぐに調べられる(過信している)。

でももう、当時のようにいろいろな媒体がこぞってこの「おいしい生活。」というコトバを、各家庭へ、お茶の間へ、新聞受けへと配達してくれる、といったことは起こらないだろう。それにしても、こういう本歌取りを感じたのはこれで二度目だ、と思った。1つめはクインシー・ジョーンズの「We are the World」ビデオクリップの素人版@YouTube。これはとてもよいと感じたのだけれども、それでもこのそもそもの「We are the World」という取り組みがなかったならば、この素敵な素人バージョンそのものが「成り立たない」。「We are the World」の場合はリリース当時世界8,000曲以上のラジオ曲が同時に、この曲を放送したのだそうだ。

コピーとは、新しい事柄、新商品を世に送り出すためのコトバであり、消費者に買ってもらうための工夫である、とまあ、そんなところだろう。そこで例によって、伊東静雄が招聘されるわけである。

くさかげの名もなき花に名をいひし 初めのひとの心をぞ思ふ

ところで、いまウェブがセマンティックになればなるほど、この「名付け」というものがどうも馴染まないように思われてきた。名付けても、偶然にその名をいう別の人が現れないかぎり、出会うことはない。検索エンジンの扱うデータの量を考えると、これは実際問題としてはヒットすることはない。すると「名」は草の根的にひろがるか、最初からある程度まとまったシステムとしてどんと提供される必要がある。とはいえ「おいしい生活。」と比べればごく小規模だろう。すでにあるコモディティなコトバが、注目度というランクを競いながら、意味を運ぶのだ。

一方コトバの使い方そのものは、より変化の速度を速めているように思う。ということはむしろ、名付けは個人によってではなく、usageの変化として多人数によって同時多発的に起こるようなのだ。

すると「名付けること」がコピーライティングならば、コピーはウェブの普及と進化によって終わり、それはマスメディアの機能と関係している、とまとめられることになる。ちなみにコピーと人々がつくった新しいusage、そのいずれにも、著作権がない。

2011-03-10

おうたこに教えられて、多摩川をわたる。


いつのまにか川辺にタワーのある川になっていたんだなあ。

2011-03-09

話題のワトソン君、すごい人気。

情報爆発の成果報告会の招待講演、日本IBMの武田 浩一氏の「質問応答システムWatsonによるクイズ番組への挑戦」のレクチャーを拝聴。ウェブでもかなりの盛り上がりを見せていたIBMの人工知能・Watson君だが、会場も超満員。

そもそもはアメリカのクイズ番組で、他の(人間の)出演者と戦ってワトソン君が勝った、というのが話題の発端だが、そのクイズ番組というのが、たいへんな長寿番組で、1964年から制作されていて、現在も毎週月曜から金曜までずーっと放映されているのだそうだ。

6カテゴリー×5難易度の問題(難易度によって獲得賞金が変わる)に全問チャレンジして獲得賞金を競うわけだが、問題を選ぶと、文字が表示され、アナウンサーがそれを読み上げる。回答者は3人で、早押しで回答の権利を得るしくみ。

ところがこの問題というのがひっかけというか、一筋でないのが特徴なのだとのこと。確かに日本でもクイズ番組はこういう構造をしてるようなと思ったけれども、つまり──1の条件にあてはまるものは5つあるがそのうち2の条件で3番目にあたるのはどれか?──みたいな問題。またカテゴリーなるものも、政治、経済、スポーツ、芸術とかそういうものではなくて、かなりユニークなもの、人名であるとか、歌詞の中にでてくる固有名詞だとか、そういった新しい「カテゴリー」が次々に作られて問題に登場するのだそうだ。

そこで問題に臨むワトソン君だが、音声認識は搭載しておらず、質問は他の回答者と同時にテキストで与えられるとのこと。また、ネットにはつながっておらず、スタンドアローン──とはいっても背後に計算機が控えているのだそうだ。質問文の言語処理がひとつの要で、ここでは構文解析の重要性が再確認されたとのこと。

私、個人的には、ロボットがウィキペディアを検索して、人間からの命令の意味を調べて推測するといったアプローチが出てきたなと思っていたら、いつの間にかワトソン君が現れた……という感じだったが、やはり「オンライン上に質のいい情報があるのが決め手」と武田氏。「ウィキの貢献が大きい」とも。

ワトソン君の情報源はテキストデータで、質問文の解析以外は言語独立(何語でもよいつくり)になっているということだが、人工知能(AI)はチェスで対決したり、中国人の部屋を考えたりというのに代わって、このクイズ番組のように一般の人々が解答するような問題を競うというのが、ひとつのトレンドになっていきそうな感じはある。

病は気から→ぜんそく予報

いまちょっと「病は気から」をamazonで検索してみて、そのタイトルの書籍がいかに多いか、に圧倒されているところ。──なんだかすごく興味をそそるフレーズみたいですね。

ところで今日の話は、ウェブ上で気象予報士の方がすすめていた『病は気象から』というもの。気象予報士の方の本にはいくつか有名なものがあるようですが、気象から健康を考えるというのは、確かに生活習慣を見直すという点で、役立つことがあるのではないでしょうか。

この本をちょっとのぞいてみたところ、大気の状態に関するいくつかのデータと、ぜんそく発作患者が救急車で運ばれた件数に相関があることから、将来「喘息予報」のようなものが可能なのではないか? といったことが書いてあり(詳しくは本書をご覧ください)、個人的に興味をそそられました。

ふと、これって、「病は気から」を追求するのとはむしろ逆ですよね。

**専門性はありません、というご注意**
私は医学の専門家ではないし、分野の情報を集めているわけでもないです(これが動詞+「です」ですね)。このブログは、ごく一般的な人として、体験に即した話をしている、というのがほとんどですが、特に健康・医療、特にぜんそくについては、この方針で書いておりますので、どうぞご注意ください。

2011-03-08

本のつかいみち。

MoMA
Smelling the Books
http://www.moma.org/explore/inside_out/2011/03/07/smelling-the-books


落ち穂拾い。記憶の集めかた。なにより切れ味。

コメントにみんなが次々と、私も本のにおいが好きだ、このパフォーマンスはいいね、というふうに書いている(と思う)のも印象的。

日本人の私としては、かつてのCM(TVコマーシャル)「おしりだってふいてほしい」の戸川純さんをちょっと思い出したりしましたが(においに関する歌があるのです)。

暗いから電気をつけるです。

折々問題になるといいながらスルーしてしまった「い抜き」(「おる」には元来謙譲の意味があるんじゃ? 2011-01-24)でありますが、そういえばもっとよく話題になるのが「ら抜き言葉」でありました。というつながりで、よろしかったらこちらのコンテンツをご覧ください↓

Researchmapつながるコンテンツ
研究の壁をこえたときⅩ
「これは壁ではない」
国立国語研究所 前川喜久雄教授 インタビュー
http://researchmap.jp/article/tsunagaru/201103/


特におもしろかったのが、これまであまり気づかなかった「動詞に「です」を付けたり、形容詞に「です」を付けたりする例」。私は個人的には、感覚的にはかなり、ぜんぜんヘンじゃない、という感じ。

Researchmapつながるコンテンツ
file 02:老博士の口癖
http://researchmap.jp/article/column/201103_2/


ただこのような細かい点よりは、先生のお話の中(というか背後というか)に、もっと大きくいろんな読書案内が含まれているのですね。実際にはコーパスのお話を中心にうかがっているのではありますが、ここからいろいろと読書がひろがってしまうのでありました。

2011-03-07

コンピュータの博物館。

年末に『コンピュータが仕事を奪う』を出版された新井紀子教授が、先日ブログで紹介されていた「コンピュータ博物館」をみてみる↓

IPSJ
コンピュータ博物館
情報処理学会
コンピュータ博物館は,日本の歴史的コンピュータとその開発に携わった人々に関する史料を集めたバーチャル博物館です
http://museum.ipsj.or.jp/index.html


年表に加え、写真豊富で、あった!あった!という感慨がしきり。ひょっとして……と思って「NeXT」をサーチしてみたが、これはないようだった。

ところで今、リンク先をコピペして気づいたことには……私のやっていることはキカイ(検索エンジンやブラウザ)がやってることと同じ!!

Researchmapのようなウェブ上のプラットフォームを使っていると、ふとセマンティック・ウェブも遠くないかも、という気がしたり、なう。

2011-03-04

若さを保つ秘訣!?


これは偉そうなことを言える筋合いもなく、ほんとにですね、気持ちの持ちよう、考えのリフレッシュ、そういったことがとても功を奏すと思っています。

最近、記事を書いていると──記事を書く時には、何を書くか事柄を選んだり、文章の中のこまかい点で言葉を選んだり、使用する画像を選んだりするわけですが──こういった「チョイス」の時に、以前はいくつか候補まで絞ってどれでもいいな、というふうに感じていたのが、ものすごくびしばしと「これ!」と思うようになった。

自分としては「なんて切れ味!」なんて思うわけですが、冷静に考えると、これも歳をとった証拠だと思うんですね。

ほんとに以前はですね、たとえば使用にふさわしい画像が3つあったら、それぞれに振り分けられる決定要因の重さがかなりライトで、しかも均一で、まあ5g違うからこっちにしとくか、みたいな感じであった頃もあった。今は画像を使用しようというときに、「これだ」と確信する重さが、とても重い。ぐらぐらしない。もちろん最初から決めてかかっているわけじゃないですよ。よくよくぐちゃぐちゃ考えて、決めてからが重い。

こういう思考回路は便利なので別に使えばいいわけだけれども、これに味をしめて、なんでもかんでも、経験が特にないようなものにまで適用すると……これはいかがなものかな〜、と思った次第。

さあて、東京地方、今日は高気圧。

2011-03-03

3月もつるべ落とし。



秋の日をつるべ落としというが、最近はめっきり春の、この2、3月をつるべ落としと感じることが多くなった。いやはや、2月もアッという間でした。

思えば、朝夕が冷え込みはじめ、霜が立ち、広葉樹が真っ赤に色づくような、陰影の濃い秋の代わりに、ヒートアイランドのゆるりとした秋が定着してしまい、そのせいでそもそも「秋」を感じないのが原因なのかもしれない。ただ単に時間が早くすぎるのが2,3月なのさ、のような気がする。

2011-03-02

明日の朝は東京、氷点下!?

天気のブログパーツが便利ではまっております。
当ブログの右側のコラムに設置してあり、かなり上のほうへ移動しました。

こんなに便利ならば、なんかブログパーツだけのページというのがあってもいい気がしてきました。(もちろん自分でデータをひいてこれればそれに越したことはないのだけれど。)

そうして、昔のテレビの主調整室みたいに並べてモニターしたら、おもしろそうなう。