2012-09-16

言語獲得より言語創造について考えたい。


言語獲得より言語創造について考えたい。
などと思ってながめると、これはまさしく言語創造について
語っているように思えます↓

ほぼ日刊イトイ新聞 2012.04.20
はじまりを、はじめよう。
終わりのように見えているものは、
生まれたばかりの始まりなんだ。
http://www.1101.com/beginning/itoi/index.html

今日はいかにもさしでがましく、
(どういう風の吹き回しであろうか、見苦しいことだ)
そのコピーを玩味熟読してみたいと思います。


コトバの本質は使用法(usage)にある、といわれます。
そのように思う一方で、でもなぜ、どうして、
ヒトの中に、ヒトの間に、コトバが出来たのだろう。

(あれれ、どうしても影響を受けずに書くことが出来ないみたいですが。)

はじまりを中心に、世界を見たいと思ったのです。
──それは、誰よりもコトバを駆使してきた人が、
書いたんだよな〜、と思うと、とても感動的です。

思いの原点は、そんな単純な気持ちです。
──こういうのって、今まで「東京の」ことばだと思っていたけれど
震災以来、またそれ以降のさまざまな読書から、私は
「東北の」ことばなんじゃないかと思うようになりました。
その東北がほんのすこし香る一行。

はじまりを、ほっといちゃいけない。
じぶんから、はじまりを、はじめなきゃね。
このへんは思いつきだと憶測します。
別の勢いを借りれば、また別のコトバであったかもしれない。

前段、繰り返し(韻)が多用されますが、
それは最後の「誰にも書けそうもない」一行

で、さっそくはじめはじめました。

へ手渡されるんですね。

(あ、ついでにusageの方の膨大な集積が「言いまつがい」だというふうに、憶測も拡がります。両方要る。月並みですが。)