2011-08-14

旭山動物園にて。





この日、旭川は日中30度。地元の人は大騒ぎしていました。30度越えるというのが話題になるくらいがありがたいよなーと、うらやましく思いつつ、今は東京です。

2011-08-06

ももいろペリカン。



お話ししているかのようなふたり。いや、二羽。

2011-08-01

じゃがいもあたまの話。

落語だったと思うんだけど、お客さんなんかはじゃがいもが並んでいると思えばいいんだよ、という言い回しがある。どこからどこまでが言い回しかというと、ステージから見たときに客席に人がいっぱいいると思うとあがってしまうけれども、それをあがらないようにするにはどうしたらいいか、という場面で、人のあたまがずらっと居並んでいるところを「じゃがいもが並んでいる」とみなすのである。

だったと思う。

こういうのがおもしろくておもしろくて、私は落語というのが好きだったのだと思うんだけれども、その、人のことをじゃがいもと思うというのが、現実には相当意表を突いているのに──だって、じゃがいもって別に人の顔やあたまに似てるわけじゃないですよね──、にもかかわらず、即時に「なるほど」と思えてしまうところが、相当おもしろい、というわけなのだ。

と、そうしたらば、である。

じゃがいもというのはクローンなんだそうだ。どういうことかというと、つまり、ひとつの系(根のツル)に育つじゃがいもは遺伝子的には同一だということ。たとえばヒトならばヒトゲノムというのを解読すると、同じヒトという種でも「1,000塩基対に1個ぐらいの割合で、個人によって異なるスポットがあり、これをスニップ(SNPs, Single Nucleotide Polymorphisms)とい」う。これは7月31日のほぼ日「今日のダーリン」でも紹介されていた児玉龍彦教授の記録動画でも「300万箇所」(7分53秒ごろ)と説明されているが、ヒトゲノム30億塩基対を1,000で割った数字ということになる。

十人十色なんてぇ言いますけれども、ヒトってのはそれぞれ、いろいろ違うもんだ。

そんな当たり前の理解が、ふとじゃがいもに目を向けると、こいつらはおんなじだなあ、と発見する。しかもそれが「言い回し」になると、みんながなるほどとすぐわかる。そういう観察力、そして理解力は、なんてたいした叡知であろう。

いやはや。ヒトという種の、個を成す違いの部分が300万箇所、それがじゃがいもの1つの地下茎においてはまったく同一である──とわかるはるか以前に、私たちは「じゃがいもあたま」を楽しんでいた、というのはわれわれながら頼もしい。

けど、じゃあ、これからはどうなんだろうか? と考えると、私はやっぱり、「ヒトだと300万箇所も違うのに、じゃがいもっておんなじ!」という、まあ科学的事実ですけど、これが、笑えないと、この先おもしろくないだろうと思う。科学がおもしろいというのは、こんなことでもあって、笑いというのがどうしておもしろいかを教えたりするのが難しいのと同左だろうと思うんである。