2012-03-31

風の強い朝、新しいPC。





先日の↓
2012-03-19
ジョブズ=アップルについて考えた。

の投稿で「いまこそコンピュータ(をつくる)会社をつくる時」(!?)などと感慨したのだけれども、ふとこんなニュース↓

CNN Money
5 new looks for your future PC

いろんなアイデアが百花絢爛という、ほんとはそういう時期なんだよな、などとまたまた感慨してしまう、風の強い朝であります。

2012-03-29

御茶ノ水橋から。


先日、「水温む」という和菓子を食べました。

さて写真は、御茶ノ水橋から秋葉原方面を望むお堀端。
画面左の陽の当たる斜面に、花が開いて。
やっと温かくなってきたか。東京地方。

2012-03-23

Go Social


Google と、Google+、そしてfacebookの話。

Googleには、Google+を開発してソーシャル分野に乗り出す以外の選択肢はなかった。ソーシャルの覇権争いをFacebookに譲って、徐々に世間から忘れ去られていくわけにはいかなかった。
c|net japan グーグルはその魔法を失ったのか--ソーシャル分野への注力が生んだ弊害より

元の記事↓
c|net
Has Google lost its magic?
by Ben Parr  March 14, 2012 6:27 AM PDT

「Google+によってGoogleの体験が向上したとはとても言えない。(引用元同上)」というのは確かに、と同感する。この違和感はつまり、私たちがGoogleに期待していることと、Googleが考える(技術を通じて結果的に提示することになる)ソーシャルが、だいぶずれているように思えるということかもしれない。それに対する残念な気持ちにも、同感する。



2012-03-22

昭和基地なう。



伊村智先生(国立極地研究所)にほんとうにきれいなんだとおききした南極。その南極の豊富な写真が楽しめるホームページがあったんだ↓

南極観測のホームページ
http://www.nipr.ac.jp/jare/now/index.html

「第1回スポーツ大会(2012年2月26日)」の投稿の下の写真の奥のほうにある、コケ坊主みたいなドームはなんだろ?

越冬中は、単調となりがちな生活に彩りを添えるべく、色々なイベントが実施されます。
──「南極観測のホームページ」より

と、さりげなく書いてあるけれど、極地という環境にあると、生活とか生存といったことについての理解が、いやがおうにも深まるんだろうなあ(体力的に、ぜったい行けそうもない私……)。いや、そもそも冒険というものが、きっとそういう性質を持っている。

よし、じゃあ極地じゃない冒険に行くか。

2012-03-21

じわり、カピバラブーム。

今日、新宿でカピバラのキーホルダー(根付け)を売っているのを発見。象、猫、ライオン、にわとりというややばらけた感のあるラインナップに、「カピバラ」が加えられていた。

ブームとなるにはもうひとおし、というところか。

北海道、旭山動物園で撮影したカピバラの写真などを掲載しています↓
響けブログ
カピバラ生活。カピバラ、カピバラ。
動物園ニュース/2011-08-18

2012-03-19

ジョブズ=アップルについて考えた。


アップルのどこまでがジョブズの功績かというような問題は、まあおそらくどんなに精密にやったところで正確な答えが出ないだろう。そういう問題を考えるのはゆううつなので、とても取り組む気になれない。

そこで気がついたんだけど、考えてみればジョブズが生きていた時だけに限って考えれば、そのどこまでがアップルの非ジョブズ部でどこまでがジョブズかを区分しなくてもよいわけだ。私たちが知っているすばらしきアップルを振り返って、私のようなふつうの人にも役に立つ教訓を引き出してみよう。

1自分が本当にやりたいことをやる
ジョブズはスタンフォード大でのスピーチで、アップルに戻ってきた理由を「love」というキーワードで語った。loveというのは、likeよりも強い語だ。人は、自分が大好きなことを仕事とすべし、あるいは取り組むべし。

2ミッションを持つ
子供がジョブズのドキュメンタリー番組(有料)を見ていたので、つい、のぞき見したら、ジョブズが「すべての人にコンピュータを」というミッションを持っていたということに触れていた。ここは規模感のあるところだが、それは人それぞれ、自分に見合った規模感のところで設定すればよい。

3期待にこたえる
コミュニケーション能力ということでもあろうかと思いますが、結果的にこれだけジョブズ=アップルがヒトビトに愛されているということは、期待にこたえているからに違いない。結果から原因を推測。

実際、1を仕事とすることで、人は長続きする。そして2のミッションを持つことで、目的がぶれない、ビジネスのさまざまな場面での意志決定が容易になる。好きなことに取り組むことが一番大切だけれども、自分が楽しいだけならば、ほんとにお手軽な実現方法だってなくはない。しかしミッションは、その行為を通じて、たとえば他のヒトビトに貢献するなど、なかなか実現できないようなことを達成しようというものだ。

ジョブズ=アップルはもうない、と知った時、いまこそコンピュータ(をつくる)会社をつくる時なんだろうなあ、と思った。コンピュータというのは、もはやデスクトップでもラップトップでもなくて、iPhoneやiPadみたいなものだろう。いやもっと違うものかもしれない。服みたいに着るものかもしれないし、ヘッドギアかもしれないし、まだできていないから何だかは分からない。何であるかはともあれ、それを狙ってくれそうな人は……もしかしてザッカーバーグ氏? などと憶測もだんだん逞しくなるけれども、作りたいという人にはかなりのチャンスだろう。

一方、ミッションとしての規模から見ると、ジョブズがアップルを立ち上げたのは1976年というから、その時点と今とでミッションの中身がほとんど同じ、ということにも改めてため息。今それをイメージすることのなんてたやすいこと!

裏返せば、70年代にそれをイメージすることのなんて偉大なこと、ということにもなるのだろうが、それほど杓子定規に捉える必要もないと私は思います。未来のことは、どんな天才にだって、ぜんぶわかるというわけにはいかない。ミッションを抱いていたからこそ、「私はこっちへ行こう」がぶれないことができるのであって、そりゃ、ジョブズだって行ってみなきゃわからないことはいっぱいあったに違いないのだ。

2012-03-18

あっという間に土曜も過ぎて。



先週は、団地に関する本を読んでいたためか、いつもはさほど気にならないものに目が向いて、写真さえ撮ってしまい。