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2009-08-09

「私はがんこ」を優雅に語る、横山広美さんにお会いしました。


東京大学のUTalkというサイエンスカフェに参加いたしました。本郷構内の赤門という入口のすぐそばに福武ホールという、ベネッセの福武氏の寄付による、安藤忠雄氏設計の建物があり、その中にあるカフェでの開催。土曜日でしたが、社会人の方、学生の方など、おそらく定員を超える方々が集い、活発に質問をされていました。

横山広美さんは、東大の先生でもあり、主に素粒子など物理の根幹の研究に関して、国際的なネットワークを背景に、国内の広報を担当されているとのこと。ちなみに、あのラップで有名な(というと若干語弊がありますが)スイスの大規模研究プロジェクト「LHC」などの国内広報も担当されているのだそうです。詳しくはこちら↓

横山広美さんホームページ
http://www.hiromiyokoyama.com/


と、実際にお会いしてみると、いやそれが、実にホームページのイメージ通りの方でびっくりしました。これからは科学コミュニケーションの時代かな(!)と、ふと思われる瞬間があり、科学コミュニケーションとは何であり、横山さんがこれについてどう考え、何に取り組んでいるのかがよくわかりました。

このUTalkという催し、今後もいろいろと開催が予定されているのだそうですよ。
UTalk 開催情報
http://online.iii.u-tokyo.ac.jp/fukutake/2009/07/



<今回の開催記録>
「UTalk: 童話作家を夢見た少女が『Newton』に出会った時」
日時: 8月8日(土)午後2:00〜3:00
場所:UT Cafe BERTHOLLET Rouge(東京大学 本郷キャン パス 赤門横)

2008-11-08

数学は役に立つ学問でしょうか?

先日、リョーシカの講演会を見学した。その中に、物理を学んでどんなところに役に立つか、という話があった。これはよく「数学」で言われることでもある。「数学を勉強して社会へ出て何か役に立つのでしょうか?」

しかしこういう質問が出るということは、その人には生きていく様々なシーンで、数学が役に立つ場面がひとつも思い浮かばない、ということなのだろうか?

そういえば私が中学か高校の時にも数学の授業で同じ質問が出たことがあった。「みんなはどう思う?」と、先生が質問を教室へ投げ返す。私は、役立つどころか不可欠に決まっている、というようなことを答えたような気がする──「数があるところには数学があり、それを操作するところに数学がある。お金を預ける、利息がつく、全部数の操作じゃない?」と。自分のことなので遠慮なく悪口を言わせてもらえば、活用シーンはいくらでも思いつくが、数学のイメージははなはだ貧相というわけである。ま、「想像力」の点で五十歩百歩と言えよう。

だが当時の生徒たちの言い分は、要するに……数学を勉強するのはこんなにたいへんなのに、そのわりにはやった甲斐があるようには思えないよ、ということだったのだろう。確かにそれなら、ぐっとごもっともである。たとえば、大学を卒業してから「因数分解」が役に立つ場面に遭遇したという人はほとんどいないかもしれないではないか。

しかし数学のように、ある意味「万能」なツールを、社会へ出て使う機会がないということのほうがヘンなのではないか、と考えることもできる。無理に使おうというのではなくて、困っている人が抱えている問題を解決したり、いろんな現象を予測したり、といったことに有効に使うのである。

また物理は──リョーシカの言うように、数学というツールに、リアルな実体をつける。だからいっそう現実に活かせるツールとして活躍する可能性がある。

だがよく考えてみると、いくら活かせるよう準備したとしても、本当に活かせるかどうかは、またしても個々人の想像力にかかっている。一難去ってまた一難である。

2008-11-05

西新宿にオープンなカフェを見つけた。

西新宿

先日、東京言語研究所の公開講座へ行ったことを書いたが、その研究所がある西新宿のビルで、アゴラふうであり、中庭でもあるカフェを見つけた。しかもリッチなことにベリーニ・カフェ、スターバックス、マクドナルドの3つの店が広場を囲むように並んでいて、それぞれの店内、ビル内のオープンスペース、さらにガラス張りのエントランスを隔てて共用テラスへと、テーブルが広がっている。なかなか見事なパースペクティブである。

そのうえ、その日は三連休の初日ということもあって、人は驚くほどまばら。いかにもここを知っているという人たちがそこここで、ノートを広げているのであった。新宿のカフェといえばどこもかしこも満員で、どことなくマナーも悪いような印象があるのだけれど、天使も舞い降りるような、すがすがしい空間でした。

2008-11-02

東京言語研究所の公開講座へ行った。

複雑系としての言語現象スライドby池上高志氏

西新宿に東京言語研究所というところがあり、一般向けに言語に関するセミナーなども行っているという。その東京言語研究所が主催する2008年度第二回公開講座が開催されるというので、聴きに行った。講師は池上高志氏(東京大学大学院総合文化研究所教授)で、講演のテーマは「複雑系としての言語現象」。

少し前に「科学のはなしが持つ、ほんとうの輝き。」で書いたのだけれど、科学の分野では、出かけていくとやはり収穫が大きい。今回もそうだった。

「物理という分かり方から、複雑系という分かり方に興味を持つようになった」

池上氏は物理出身で、三葉虫の化石のコレクターで、人工生命という分野からぐわーんと──チョムスキーを経て──「クオリア言語進化論」へ。

以前渋谷で講義したときに「複雑系ってどういう系?」と訊かれた! というすごいエピソードには、のっけから会場も大爆笑。

「それから、複雑なものを取り扱っているから複雑系なんじゃなくて、取り扱い方に「複雑」があるのが複雑系」

ざっくりでもバシバシ定義してくれるので、論旨の線が直線で、鋼鉄でできてるかのように芯のある印象を受ける。すなわち、たいへんわかりやすい。

「僕にとって複雑系とは生命の新しい理論であり、自然と人工の違いについて考えること」

私は実は、構成論的アプローチという語を検索していて、このレクチャーを見つけたのだったが、会場の参加者は、東京言語研究所の講座の学生さん、講師の先生たちが半数以上で、あとは私のようにいろいろな接点で集まってきた一般の人という印象で、教室いっぱいに入って50名ぐらい。全般に科学な質問が多く、たいへん盛会でありました。

※文中の引用部は、私の記憶とメモによるものなので、不正確なところもあるかと思います。どうぞご了承ください。

2008-10-23

カフェとモカ。


私がサイエンス・カフェへの期待が大きいのは、もともとコーヒーが好きであることとも無関係ではないかもしれない。

ちょっと以前にモカが、たしか農薬の濃度の問題で、豆が入らなくなるというのが話題になった。家の近くに豆いちという、スペシャリティ・ビーンズの店があり、今日はたまたまその話になった。やはり、まだ入ってきていないという。

モカはそもそも港の名前である。場所は紅海の南端、出口付近。すると脳裏には商人たちがゆききする賑やかな港町が思い浮かぶが、Google Mapsでみると、モカの周辺には見事に何もない。埠頭には大きなタンカーなら1台しか停まるところがない。まったくイメージは当てにならないものである。

2008-10-01

カフェと対話の可能性。

地球というものをね、
誰も泣いてないような星にしたい。(中略)
魔法を使って宇宙人にお願いするんです。(中略)
ある高等な宇宙の生命に
地球に来てもらって、保護してもらうんです。

関根勤「ほぼ日刊イトイ新聞」もしもの世界インタビューより

(前回のつづき)
「ワールド・カフェ」という言葉を最初に聞いたとき、私はなんとなく──滅びてもしょうがない、と思えるまで話すのかな、と思った。私たちは。それでなんとか納得することにする、そんな顛末かもしれない。ふいに、タイタニックの沈没を思いださぬでもないけれど。

今日はとことん科学と離れてしまいそうだけれども、村上春樹氏は、人と人とがにっちもさっちもいかなくなったとき、うなぎくんに解決してもらう、と言っている。申し訳ないけれども正確な内容は著作にあたられたい。そうだ、うなぎくんに!という場面で、うなぎくんは登場するのである。

ところで生物は食物連鎖をはじめ、そもそもひと続きの連なりでできている。ここからはさらにフィクションだが、そのうなぎくんに、矢野顕子が「かえるに言われちゃしょうがない」と言うのである。

そしてパペットマペットのかえるくんが「呼んだ?」というから、「呼ばない」というと、うしくんがかえるくんに噛まれるという寸法だ。

どういう寸法かというと、ひとだけではどうもダメだということになってくると、いろんな登場人物が現れるらしい。冒頭の引用の場合は、なんとも、宇宙人だ。この新しい登場人物は、いつもより知的な生命体である。そして、とりあえず、ハッピーエンドということになっている。
こちらはケストナーの「動物会議」
岩波書店
詳細へ

2008-09-30

サイエンス・カフェ、ワールド・カフェ、動物カフェ。

ワールド・カフェというのは、必ずしも地球規模の環境問題とか、アフリカの内戦のような世界的な問題を取り扱うものではなくて、あるコミュニティでテーマを選んで問題解決へ向けてアイデアを出し合うさまざまなものが含まれるものだそうである。

最近のビジネス書は「対話」が隠れたキーワードになっているようにも思った。

思いつくままに書いていくと、とてもとりとめなくなりそうなので、ワールド・カフェの原則を紹介しておこう。これは文末に掲載の本のamazon.comのなか見検索ページで表示される目次に書いてあったものだ。

1 Set the Context
2 Create Hospitalbe Space
3 Explore Questions That Matter
4 Encourage Everyone's Contribution
5 Cross-Pollinate and Connect Diverse Perspectives
6 Listen Together for Patterns, Insights, and Deeper Questions
7 Harvest and Share Collective Discoveries

1は、以前このブログに書いた「はじめの定義が受け入れられない。」にも通じるように思われる。このことが参加者全員でセットできないと、本来、成功は望めない。この本ではそのことを最初にぴしっと言ってくれているわけである。

2については、私は最近、とても大切なことだと思うようになった。特に夫婦とか親子とかの関係が、夫婦だから親子だからいいことになってしまって、そのいい部分がたいへん損なわれているように思う。個人的に家庭問題があるわけじゃないのですが、またそのように「ない」と思えてしまっていることも問題だ。家の空気は快適ですか? 快適じゃないなら、快適にすべきなのでは?
(続きたいと思います)

ところで、動物カフェのお話はこちら↓
[STARBUCKS' FLY スターバックスの蠅] stories
お暇なときにご覧ください。

ワールド・カフェ~カフェ的会話が未来を創る~
アニータ ブラウン / デイビッド アイザックス / ワールド・カフェ・コミュニティ
ヒューマンバリュー

日本語訳 2007/9/28発売

The World Cafe: Shaping Our Futures Through Conversations That Matter

Berrett-Koehler Pub

こちらが原書版

2008-09-12

市民講座とEnglish lectureに参加して机の配置について考えた。

昨日は国立情報学研究所(NII)の市民講座に参加した。大山敬三教授による「データ社会とウェブ ──膨大なデータから見えてくるウェブ社会の姿とは?──」というレクチャーである。NIIの市民講座は毎回たいへん盛況で、参加者の年齢層も若い人あり、40歳代ありと、参加者の笑い声にも活気がある。

ところで私は昨日たまたま同じ日に別のレクチャーをもうひとつ受けた。こちらは英語の論文の書き方などに関するもので、日本人向けに「common errors」とかを教えてくれて、参加者の質問にも答えますよというものだった。

実は英語のレクチャーのほうは、自分の席からスライドが見えにくい上に、資料が配付されなかったこともあって、何か気にかかるものがあった。それが何か、しばらくわからなかったのだが、はたと気づいたのは、そう、席や机の並べ方なのである。

私たちがふだんレクチャーを受けたり、打合せをするときに、というのは日本でということになるわけだが、机がどう配置されているかというのはだいたい決まっている。絵に書くとだいたい下図のような感じで、まあ形としてもレクタングルで、直角直角に並べるのが基本だ。

そのほうがきちんとしているというイメージがあるからだというのはわかるが、たとえばこんなふうにすることで、その人の話に触れたい、聞きたいとか、気軽に質問しようとか、話し手と聞き手が対立的な関係じゃなくて一緒に目標をみよう(それがレクチャーなら「共通の理解」という目標でもいいわけだ)というように雰囲気が一変するのではないだろうか。

すると日本人である私はすぐに、それじゃ主催者が机を並べるのがたいへんだ、とすぐ思ってしまうわけなのだが、考えてみれば「会社は誰のものか」ではないが「レクチャーは誰のものか」といえば参加者のものなのだから、参加者が手を加えるのだってよいのである。誰がやるべきかではなく、どのようにしたらそのような雰囲気が作れるだろうか、といささか思った次第である。

ところでこの市民講座、この秋まだまだ開催されます。詳細はこちらから
[国立情報学研究所 市民講座2008年度]
http://www.nii.ac.jp/shimin/index-j.shtml

2008-09-05

サイエンス・カフェに期待していること。

期待というのか、実現したいという話なのか、むしろ夢というのべきであるようなかなりバーチャルなものなのか、ということはちょっと問わないでもらいたい。『ニッポンには対話がない』ではないけれども、日本に対話がないのであれば、そもそもサイエンス・カフェというものが成り立たないからである。そこで現実には例がなくても、サイエンス・カフェというものがこうであったらいいだろうということを、まさしくないものねだりに訪ねていくことで、新しいゴール、新しい実現のかたちを鮮明にしていく作業は意味があると思う。

と、自分でもどうもややこしい文章を書いてしまったが、要するに、サイエンス・カフェがこうだったらいいね、というのが今回の話です。

で、どうだったらいいのかというと、そこにはやっぱり不文律というか、もともといろんな立場、いろんな考え方ありの大人が集まって気持ちよく過ごすためには、何らかのルールが要るのだということがひとつ。

そう思っていたら、ほんもののカフェ「スターバックス」に務めていた人がスターバックスの企業理念を解説した『It's Not About the Coffee』にちょうどいいことが書いてありました。

この本は、amazon.comで目次と本文の一部等が読めるのだが、それをかなり雑に訳したものを以下にご紹介します。これは、スターバックスは10の法則(principle)に基づいていて、これが成功を収めている、その10とは何かという流れで紹介される、つまりスターバックス10の法則である。

1 自分はなにものかを明確に
2 成功にとらわれず、何をするために自分がそこにいるのか考えること
3 自由に発想すること、これを自分にも相手にも奨励しよう
4 信頼性を築こう(結局はそういった関係性が成功を支えるのだ)
5 耳を澄ませ(聞く態度こそが解決の近道)
6 責任ある発言を
7 考える、感じる、行動するは、みんな大事だが、まず行動を
8 憶せず進め
9 リーダーシップを発揮しましょう
10 夢を持ちましょう

It's Not About the Coffeeより

これ、そのままサイエンス・カフェ参加の心得のようにも読める、と思ったのですが、いかがでしょうか?

大事なのはカフェのルールであり、それからがサイエンスなんだよなあ──と最近思っているのである。

It\'s Not About the Coffee: Leadership Principles from a Life at Starbucks

Portfolio

詳細へ


ご参考:STARBUCKS' FLY(スターバックスの蠅)blog

2008-07-05

NIIの市民講座で科学の最先端をキャッチしよう。


昨日、国立情報学研究所(NII)の市民講座に参加してきました。国立情報学研究所の市民講座をはじめて知ったとき「8語でつかむ情報学」という年間共通タイトルで開催していて、こう言われるとほら、忙しいしいけないだろうと思っても、「情報学」って括りのキーワードを8つ知ったら、ちょっと面白いかもな、ということぐらいは伝わる。で、その「情報学」というのがですね、と話の進みようもあるわけだし、実際、その中味はたっぷりありますし、非常に現在の暮らしを未来へ向けてサポートしてくれるような技術も多いのです。

このように活きた科学技術についてその分野の専門家が最近の成果を語るという趣旨がビジネスパースンに合っているからか、国立情報学研究所の市民講座は、毎回ビジネスパースンの参加がとても多いのが他にあまり見られない大きな特徴です。竹橋というアクセスのよさもあるが、これがたとえば幅広い教養目的のようなものだと、なかなか働き盛りの方々には来ていただけないのではないかと思いますね。

さて本年度は「未来へつながる情報学」というシリーズタイトルで、昨日は第2回目の開催。画像処理の話題でした。「画像処理」だけとなるとこれはかなり特殊な話であるわけだが、講師の杉本晃宏(コンテンツ科学研究系)教授が「とにかくいっぱい動画や画像を用意してきました!」とおっしゃるだけあって、参加者はもうとにかく次々観ることによって、画像処理の課題をつかんでいく構成。専門的なものを一般向けに(うそなしに)伝達するには、話題を切り出す技術が欠かせないわけだが、その意味でとっても思い切りのいい、すがすがしい構成でした。

市民講座ではこのあと質疑応答コーナーがあり、ロボットの研究で知られる稲邑哲也准教授が会場の質問(参加者に紙に書いてもらってその場で回収する)をとりまとめて、講演者に質問する。稲邑先生の質問は、会場からの質問をいったん自分の関心に引き寄せて、主体的にギモンを投げかけていくスタイルである。あんまり目立たないかもしれないけど、稲邑先生の「本当に知りたい」ために発せられた質問と、それを満たそうとふんばる答え。これがまた、NII市民講座のもうひとつ、面白いところなんじゃないかと私は思う。

2008-06-29

ロボットが言語を習得するという話

サイエンス・カフェではないのだが、国立情報学研究所の主催する公開レクチャーに参加してきました。テーマはロボット。1つは松原仁公立はこだて未来大学教授による年々盛り上がるロボカップの話題。もうひとつは岩橋直人教授(情報通信研究機構主任研究員)のアームロボットを使って言語と動作を習得する話。計2つのトークを拝聴した。



いずれも興味深い内容だったのですが、その中味の話は後日として、ロボットというと毎度私が気になってしまうことがあって、それを覚え書いておきたい。

私がロボットの話題で、つい夢中になってしまうのは、人がロボットに対してどのような期待を持っていたり、寛容性を示したり、許せなかったりするのかというその感情だ。一般にはそのことを「感情」と言うだろうから、そう書いてはいるのですが、ただ「感情」とはいっても、いろんな要素があるという気はしています。たとえば生物として本能的に警戒しているようなことも多い気がするし、あるいは「赦す」という場合に、自分を投影して(自分もそうだからわかってやる)なのか、それともまったく別の存在として(ロボットだから赦してやる)なのか、いろんな場合があり得るように思う。そして、それらはうわっと交錯する。