2012-04-21

電子書籍の広告。



『ウェブらしさを考える本』はふつうの(紙の)本で、電子書籍ではありません。またウェブ上で全文を公開していて、誰でもHTML文書で、つまりパソコンや、iPhone・スマートフォンなどで閲覧することができます。

ところで今日は「電子書籍の広告」などというタイトルをつけてしまったのですが、広告というのは、「物を売る」ために発達した技術で、「情報を売る」のにはどうも向いていないなあ……とちょっとコピーライター的な立ち位置の話。

実は一昨年頃から、特に科学や学術の成果をコミュニケーションする手段として電子ブックなどのデジタル媒体を考えた時に、何ができるかと考え、Researchmapのコミュ「成果発信のためのebook研究会」で、iPhone AppやiBookAuthorを試作したりしてきたのですが、結局こういうのはパッケージ化の手段と工夫ということに尽きる感じがします。
(ちなみに、パッケージ化の要素の中でもインターフェースというのはもっとデリケートで、あるいは洗練されたもので、また別の、たいへん魅力的な開発エリアだと思います。)

そこで世の中を見回してみると、現在出版されている電子書籍の広告やiTunesストアのサイトの雰囲気にしても、まず「電子情報」というものをパッケージ化することで、いかに「モノ」だと納得してもらうか、そして「モノ」として値段を持ち、買ってもらうか、というふうに、どうしてもなっていくのだろうと思われます。作っていてもやっぱりその感じはよくわかり、というのも私たちにとってお金を出して買う「商品」とは、そういうものだからでしょう。

けれどもよくよく考えてみると、紙の本がある意味でパッケージ商品(モノ)だとすれば、電子書籍はそもそもデータ(情報)です。もし電子書籍を買って、「情報を買った」のならば、モノじゃないから再販できないし、古本に出すこともできないし、他人に譲り渡したりシェアしたりするには違法コピーしかない、と極端に考えることもできそうです。すると著者にはかえってうれしい話かもしれず、無理に「モノ」化するよりも、売るのに都合が悪くたって、長い目で見れば「情報」でいてくれたほうが有難いかもしれませんね。

とはいえ、「売るのに都合が悪い」というのは、コピーライターとしては大ピンチというか(大ピンチなんて古い言葉をどうして思い出したんだろう!)確かに大問題でございます。しかし「情報を売る」ということの内容に想像をたくましくしてみると、これも確かに、人にとっていかに特殊なケースかが理解できるようにも思うのです。たとえば──

スパイが「情報を売る」とか。
(しかも、そのあと暗殺されちゃうとか)

あるいは、古代ギリシアはデルフィの神託とか。

はたまた、宝島の地図のようなグラフィックとか。。

↑(これが一番モノ性があるか。)

……と、これはどうもですよ、クチコミといったおだやかな話じゃなく、私たちの頭の中には、重要な──世の中を動かすとか、大金持ちになるとか、天下をひっくりかえすとか!──情報は、「値が付くものじゃない」という感覚が基本的にはあって、そこで人類の知恵袋のなかに「重要な情報ほど、絶望的に流通しにくい」という認識がある、と考えるのが自然なのではないでしょうか。(ひるがえって、クチコミぐらいがかえってちょうどいいということにもなる、という。)

(本はそのようであるべきだと考えるとして)情報を極めて圧縮したものとしての書物が、モノでもないのに(情報なのに)お金で買えますよ、と言われても、そんな「特権」がカンタンに手に入るなんてあやしい、と踏むのが、現在の人類の感覚であって、すごく時間かかりそうだけど、そこが変わっていかないと、電子書籍というものが本当にリアルにはならないのではないか、著者が無理なく「食べていける」時代にはならないんじゃないか、と考えるのでありました。

2012-04-18

英作文じゃなくて「英借文」。

とある日。
私が書いた英文をリョーシカが「何を言っているのか、意味がわかりません」とおっしゃるので、「そんなふうに言っては人をdiscourageするだけで、よくない指導ですよ」と大反撃してやると、「あなたが書いた英文ですが、人がそう言っているのを聞いたことがありますか?」とのこと。
「ひと、って誰ですか?」
「英語を話す人です」
「むむ、確かに、ない……」
「でしょう」

そんなあ。だって言いたいことに合う英語が見つからないんですよぅ。

「自分が言いたいことばかり考えてもだめなんですよねー」
とリョーシカ。
「英語を使う人が、そう言わないということは、通じそうもないでしょう? それよりも既に聞いたことのある言い方、文を使って、自由に言いたいことを言えばいいじゃないですか」

なるほど。

「英作文じゃないんです、「英借文」なんですよ」

これでわたしが思い出したのが、かつて英語ラーニング・ウェブサイトで見た巻頭言だ。そこには、英語を学ぶなら、間違った英語を読み書きしてはならない。正しい英語だけを読み書きしなければならない、と書いてあったのだ。そんなあ。これはまるでショウペンハウアーの「良書を読むための条件は悪書を読まぬことである」じゃあないですか。

しかしながら考えてみれば、子供たちはたぶんオトナを真似ることで、言語を獲得してきたはずである。オトナは、家族の他にも、テレビだったり、本だったり、お友達の兄・姉だったりもしただろう。

「英借文かあ」

と、考えが一回りしたところで、あたりを見回してみると、あれっ? リョーシカはまたどこかへ出かけちゃっていたのでありました。

2012-04-17

amazon著者ページにツイを表示できるのが面白い。


amazonのサイトに「著者セントラル」というしくみがあって、著者ごとに著書一覧が表示がされる。このページは著者自身がカスタマイズできて、サイン会の情報を掲載したり、著者写真を掲載したりできる、と書いてある。と、そこへ最近、twitterへの投稿をインポートできるようになったようだ。さっそく使ってみたところ、なんだか妙におもしろい。

どうしておもしろいかというと、たぶん、間違いなく著者自身が、まるで読者、少なくとも特別な読者のように現れる(ように見える)からじゃないかと思う。というのはまず、amazonの著者セントラルは、ツイッターと違い、いちおう著者かどうかを判断するしくみを持っている。著者であると特定された人が、自分のツイッターを登録するようになっていて、著者自身がわざとロボットを指定したという場合を除いては、本人であることがある程度保証されていると考えることができる。amazonの「著者セントラル」というのはそういうページであり、つまり「著者」という特権性が生きている(一方、Twitterでは著者とその他という区別はない)。「著者」に対峙する項は「読者」であり、Twitter窓によって、amazonの世界がふいに、全員が著者であり読者であるような世界と通底するからだろう。

そういうわけで、このようなしくみが使えるようになって、私はなんかとてもホッとした。私の大半は「読者」であって、たまさか「(共)著者」であるに過ぎないのだ。

そもそも……著者近影なるものが、実際、本の中にも含まれるわけですけれども、あれ、相当、フシギなもんじゃないかと感じるのですが、私だけでしょうか?

いや、そんなことはありません。あれってなんだろうね? とギモンに思われる方には、このような本もある。たいへんおすすめです↓


作者の図像学 (ちくま学芸文庫)
ジャン=リュック・ナンシー
筑摩書房





2012-04-16

モード読書論


今回、共著書が出版されて、またいろんな反応をいただいたりして、やはり感じたことというのがあります。

たとえば、ひとつひとつの論点について、詳しく背景を説明して、そうである理由を十分説明したり、限定事項を残らず列挙したりする書き方がしにくい状況にあるなあ──というのもそのひとつ。すべての本がそうでないのはもちろんですが、ある程度広く多くの人々に読んで欲しい場合には、かなり難しいのではないでしょうか。

このような、いわば不完全な論述に、「読者として」どう付き合うか?

出版直後にこのようなことを書くと、相当、言い訳に聞こえるかもしれませんが、書いたことは書いたことで、言い訳にする意図ではありません。一方、いかなる書き手も、それをはるかに上回って「読者」であることは間違いなく──また私の場合には「共著者」という特別な読者としても──読者としてどうしたらいいかを考えないわけにはいかないのです。

個々の論点を突き詰めるというよりは、個々の論点を貫くある種の「モード」のようなものを見つけ出す。たとえば複数の本を読んで似通っているところに注目する、というのはどうでしょうか? また「モード」は「パラダイム」と言ってもよく、パラダイムとあらば「比較」するのが定石という気も。

先日、遅ればせながら『情報の呼吸法(津田大介著、idea ink)』を手に取り、とても重なる部分が多いように思いました。そこで、ぜひ併せて、そのびっくりするほど共通する部分を読むとおもしろいと思います。

そういったことは、今の機械には到底できない、
人ならではの愉しみと言えるかも知れません。


情報の呼吸法 (アイデアインク)
津田大介
朝日出版社
ウェブらしさを考える本 (丸善ライブラリー―情報研シリーズ)
大向一輝・池谷瑠絵
丸善出版


2012-04-14

先日の桜。



昨日からの雨で、東京地方、桜も終わりという感じです。
写真は、その前の木曜に撮ったもの。
ソメイヨシノよりもだいぶ桃色の濃い桜です。

チューリングイヤーなのだった。

The Alan Turing Year 2012
A centenary celebration of the life and work of Alan Turing
http://www.mathcomp.leeds.ac.uk/turing2012/

リンクをはっておこう。

2012-04-11

「ウェブについての本なのにウェブで読めないのは悲しい」


国立情報学研究所の大向一輝先生(ちなみに「おおむかい・いっき」と読みます)との共著『ウェブらしさがを考える本』について、その制作経緯などが、大向先生自身のブログに書かれています↓

@i2kのブログ
2012-04-08
「ウェブらしさを考える本」発売しました

そのなかの言葉に、標題の「ウェブについての本なのにウェブで読めないのは悲しい」というのがあるのですが、いやほんとにそうだったよな、と振り返る次第。

本書は少なくとも「ウェブらしさ」を巡っており、そのような本がウェブのなかになんらか存在しない、ということはありだろうか?──それはどうにも矛盾じゃないだろうか……、……はつづく、みたいな、やむにやまれなさといいますか。

そんな感じを憶えています。

ところで大向先生のお話は、これが不思議なのですが、聞いていると──特にウェブ制作経験があったりすると(かくいう私もそうなのですが)──ああこう作ればいいんだ、こうコミュニケーションすればいんだというふうに、いろいろ方針が見つかるというか、アイデアがわいてくる。お話の内容が直接、たとえばウェブ・リニューアルの方針についてというわけではないのに、リニューアルのデザインが見えてくる──というのが面白かったです。いわばそこに「ウェブらしさ」のしっぽがあるわけで、これを何とか生かしたいな、と思ってつくりました。

2012-04-09

ウェブらしさ、ってなんだろう?


先週、国立情報学研究所 大向一輝先生との共著『ウェブらしさを考える本』が発売になりました。一冊を通してウェブらしさとは何か?を考える。ひとことで言うとそんな本になるかもしれません。

先日のポスト「ウェブで全文が読める新刊書。2012-04-07」以降もいくつかニュースに採り上げていただきました↓

IT Mediaニュース
「Webらしさ」とは?──新刊書籍を無料公開 NIIと丸善
国立情報学研究所と丸善出版が新刊「ウェブらしさを考える本-つながり社会のゆくえ-」を発売と同時にWebサイトで無料公開。

マイナビニュース
国立情報学研究所と丸善出版、新刊図書をWebサイトで無料公開

Gigazine
無料で全文公開中「ウェブらしさを考える本─つながり社会のゆくえ─」
2012年04月09日 09時54分38秒

ぜひこちらで読んじゃってみてください。
amazonへのリンクは以下から↓

ウェブらしさを考える本 (丸善ライブラリー 381 情報研シリーズ 15)
大向一輝・池谷瑠絵
丸善出版

2012-04-08

帰ってきた東京メトロ、マナー広告



前向きはいいことだけど。 と始まった、東京メトロのマナー広告。 昨年のペットシリーズから、また元のテイストへ戻ってきました。 この一年に期待。

2012-04-07

ウェブで全文が読める新刊書。




国立情報学研究所 大向一輝先生との共著『ウェブらしさを考える本』が発売になりました。全国有名書店で発売中です!

ところでこの本、もひとつ話題がありまして↓
国立情報学研究所プレスリリース 2012/04/05
国立情報学研究所と丸善出版が新刊図書を無料ウェブ公開

この「新刊図書」というのが、『ウェブらしさを考える本』なのであります。少なくとも向こう1年は、ウェブ上で読むことができますし、またただのHTMLで書かれていますので、いったん通信を切ってオフラインで読むこともできます。

公開しているURLはこちら↓
丸善出版
「ウェブらしさを考える本-つながり社会のゆくえ-」無料公開サイト(4月7日開設)

ニュースにも採り上げていただきました↓
INTERNET Watch
国立情報学研究所と丸善、新刊書籍「ウェブらしさを考える本」を無料公開

ぜひ幅広くつまみ読みしていただきたく、ご案内するとともに、どうぞ書店でも表紙イラストなどをお楽しみいただければと思います。

と、ここまではすべて「ハコ」の話ですので、「中身」のこともおいおい……