今回、共著書が出版されて、またいろんな反応をいただいたりして、やはり感じたことというのがあります。
たとえば、ひとつひとつの論点について、詳しく背景を説明して、そうである理由を十分説明したり、限定事項を残らず列挙したりする書き方がしにくい状況にあるなあ──というのもそのひとつ。すべての本がそうでないのはもちろんですが、ある程度広く多くの人々に読んで欲しい場合には、かなり難しいのではないでしょうか。
このような、いわば不完全な論述に、「読者として」どう付き合うか?
出版直後にこのようなことを書くと、相当、言い訳に聞こえるかもしれませんが、書いたことは書いたことで、言い訳にする意図ではありません。一方、いかなる書き手も、それをはるかに上回って「読者」であることは間違いなく──また私の場合には「共著者」という特別な読者としても──読者としてどうしたらいいかを考えないわけにはいかないのです。
個々の論点を突き詰めるというよりは、個々の論点を貫くある種の「モード」のようなものを見つけ出す。たとえば複数の本を読んで似通っているところに注目する、というのはどうでしょうか? また「モード」は「パラダイム」と言ってもよく、パラダイムとあらば「比較」するのが定石という気も。
先日、遅ればせながら『情報の呼吸法(津田大介著、idea ink)』を手に取り、とても重なる部分が多いように思いました。そこで、ぜひ併せて、そのびっくりするほど共通する部分を読むとおもしろいと思います。
そういったことは、今の機械には到底できない、
人ならではの愉しみと言えるかも知れません。
情報の呼吸法 (アイデアインク) | |
津田大介 | |
朝日出版社 |
ウェブらしさを考える本 (丸善ライブラリー―情報研シリーズ) | |
大向一輝・池谷瑠絵 | |
丸善出版 |
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