2008-10-31

ベルマークとは何か。

先日、ベルマーク集計というものに参加した。ベルマークのついた商品を買って、ベルマークのところを切って集めて、学校へ持っていって、PTAの人々が数えて、でもって楽器などが買えるという、それです。で、私はそのPTAの人であったわけです。

いやあもう、あれは信じられないほどたいへんです。なんかもうちょっとたいへんでないものにする方法はあると思うのだが。つまり、ベルマークという志と、この目前の作業にはずいぶん開きがあるなあと感じました。

で、それでいったいどれだけの楽器などが買えるのか、というと、1点1円のものを大人が3人以上で3時間「集計」して942円。このうち1割が寄付なので、848円です。すると大人一人の時給換算して、なんと94円!

「あの、みなさん、全員でマクドナルドでバイトしたほうがよくありませんか?」
と私が言ったら
「でも、雇ってもらえるかしら」

2008-10-30

何が出ると思って掘るのだろう。

掘っても何も出ない、とわかっていても掘り続けるような仕事は世の中にはあるだろう。掘ってるほうも、何も出ないことはわかっている。それでも何らかの理由によって掘ることになっているし、掘ればそれだけの仕事にもなる。

だがそれが研究の場合には、研究というのは何をやるかを自分で決めるというのが仕事の一歩であろうから、仕事になるとはわかっていても何もでないところを掘るのはどんなものだろう。

ところで今急に思い出したのだが、掘ると言えば、「芋掘り」という行事はなぜあれほどまでに数多く企画されるのであろうか? コドモが保育園の時に3回、小学生でも2回はあったような気がする。私たちの「掘る」というイメージは、そのうちのどれかへの参加体験で形成されちゃったような気がする。

2008-10-29

大人の手習い。

脳に関する研究に対して、一般に人々の関心が高いのは、やはり自分に身近なことであり、それを知ることで「脳とはさみは使いよう」という知恵が授かるのではないかという期待があるからではないだろうか。

一方で、そういうのは健康に関する知識と同じで、要するに「まゆつば」なんじゃないか、諸説あって変遷もするような、とりあえずの知識なんじゃないかという警戒もあるだろう。

それにつけても思い出すのが、自分の母が、何年か前に突然フランス語を習うと言い始めて、結局のところ、おおかたの予想を裏切って今も続いていることだ。これはかなり彼女の勝利で、今回ばかりは脱帽である。だが、同時に私は深く当惑もしていて……という感覚は、何か始めちゃった親をお持ちの方にはわかると思う。

半年ぐらい前にやはり知り合いのロボット研究の先生が、母親が退職して突然……考古学を学び始めた、と言った。ロボットと考古学だ。

2008-10-28

1年間の書籍購入費用ってどのくらい?

今日たまたま出版年鑑を見ていたら、年にどのくらい本(というのは古本は含みません)を買うのか、一人あたりの購入金額の県別一覧表に目が留まった。額面では、たいがい1万円前後なのだが、たいへん突出している県もあることに気がついた。いったいどこだと思いますか?

これはたぶん雑誌も含まれるであろうし、大学や地方自治体の図書館や企業が買う図書も含まれており、そういうのをおしなべて平均どのくらいか、というものだと思われる。

したがって東京がやや高めというのも、まあなんとなくうなづける。私が目に留まったのは、だからそこではない。ひとつは北海道。そしてもうひとつは香川県でした。別に意外というわけではないですが、なぜだろうと思うと、理由が思いあたらない。うどんを見ると、今後「香川県の人はたくさん本を買う」というイメージが湧いてしまいそう。

2008-10-27

コーヒー×音楽のススメ

JRの駅のプラットフォームによくドリンクの自販機が設置されているが、そういったもののひとつで、「コーヒー×音楽」というキャンペーンを見かけたのだが、ことほどさように、というのは何かにかこつけて音楽をご紹介するというのはいいよな、と思ったのであった。

音楽を聴くなんていうのは、もしかするととても贅沢なこと、素敵な食事よりももう一段上なんていうことにもなりかねないのだけれども、しかしさまざまなちょっと贅沢なこと(というかモノ)が浸透したついでに、音楽もおすすめしたいものだ、と思うのだ。

特に音楽に造詣がふかくなくたって、誰だって、すてきな音楽があれば心地よい。たとえば、すてきな店は音楽に気を配っているものである。つまり何も音楽を聴こうなんて積極性がなくたっていいのだ。何かをするときにそこによりよい音楽を、ということなのである。

すると、突然話は変わるのだけれど、itunesとか楽曲をダウンロードするに、アフィリエイトがあってもいいなと思った。昔、音楽好きな人がせっせとミュージックテープを作ったように、このような音楽をかけるといいよ、というセットを作ってやり、その人にわずかばかりの収入があるようにして、その活動が続けられるようにする。そして、よい音楽が少し売れる。

2008-10-24

『週刊リョーシカ!』もうすぐ一周年


量子&理論物理学者の「リョーシカ」と、リョーシ猫の「わたし」の会話でつむぐ『週刊リョーシカ!』が、連載終了まで、いよいよカウントダウン!となってまいりました。

今週は量子コンピュータ編「量子計算とアルゴリズム」というお題。
お暇なときにご覧ください↓

『週刊リョーシカ!』最新号
http://www.famipro.com/ryosika/ryosika_049.html

2008-10-23

カフェとモカ。


私がサイエンス・カフェへの期待が大きいのは、もともとコーヒーが好きであることとも無関係ではないかもしれない。

ちょっと以前にモカが、たしか農薬の濃度の問題で、豆が入らなくなるというのが話題になった。家の近くに豆いちという、スペシャリティ・ビーンズの店があり、今日はたまたまその話になった。やはり、まだ入ってきていないという。

モカはそもそも港の名前である。場所は紅海の南端、出口付近。すると脳裏には商人たちがゆききする賑やかな港町が思い浮かぶが、Google Mapsでみると、モカの周辺には見事に何もない。埠頭には大きなタンカーなら1台しか停まるところがない。まったくイメージは当てにならないものである。

2008-10-22

見慣れた段ボールがロボットに?

アマゾンをうろうろしていたら、候補に挙がっていたのがこのおもちゃ。予約販売で1,000円。オトナ買いは3点までとのこと。手のひらに乗るほど小さいものだそうです。なぜかクロネコヤマトの配達車の広告シリーズを思い出しました。……梱包つながり?

リボルテックダンボー・ミニ
Amazon.co.jp ボックスバージョン 【初回版】

海洋堂
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2008-10-21

いまだにえんぴつも使うもので。

鉛筆の削りカス
鉛筆削りというものが、要りようである。コドモの頃に使っていた三菱鉛筆の電動シャープナーは優秀で(今も実家で現役だそうだ)、これを超えるものに長くめぐり逢わなかった。今や新入生の必需品でもないらしく、これがスタンダードというものも見あたらない。

ファイバーカステル社やステッドラー社の携帯タイプのを愛用されている方もいると思うが、芯が折れやすくないですか? 私には今ひとつ、削った面が粗い気がする。

いろいろためした結果が、以下の2品だ。特にDAHLE133には、たいへん満足。まるでどこかで自慢しようと思っていたのを晴らすようで恐縮ながら……素晴らしいです。

↓最初の写真も、下に掲載のDAHLEの削りカス。この削れ方が頼もしい。電動ではありません。
DAHLE ペンシルシャープナー 133型スタンダード(クランプ付)鉛筆削り
DAHLE (ドイツ)
商品詳細へ


↓商品特長は、ナイスなフタと、210円という価格かも。
こどもえんぴつけずり
くもん出版
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2008-10-20

リアルタイムで野球を伝えるサイト

野球中継

コドモが野球を見たがるが、テレビの中継放送がないこともあって、今シーズンは、どうやって試合を知ろうか、というのが問題になった。ライブ中継というのはなくなってみると当たり前にあったことはありがたい。

そこで見つかったのが、セ・リーグ クライマックスシリーズ第三戦 阪神vs中日のライブ情報をアップしているニッカンスポーツのサイト。投球、打球、守備の布陣などをアニメーションしたりするので、ソフトに仕上がっているものと思われる。

スコア速報

ところで都市対抗野球の時にやはり同じことがあって、その時出場していた鷺宮製作所という会社がリアルタイムに試合経過をアップしていた。こちらはかなり手作りで、アニメーションなんかも見あたらないのだが、スコアボードのリアルタイム画像を書き換えるだけで、結構インパクトがあった。動かなくても実写のほうがリアルな感じがするということだろうか。

またリアルの画像を入れているということは、万が一入力に誤りがあっても、閲覧者がそれと気づくことができるため、結果的には速報性にも貢献する可能性もありと、いろいろいいことがある。このページ、現在は(もちろん)休止中だが、野球部が試合に出る時はいつもやっているようなので、どうすれば閲覧者が満足がいくか、かなり研究されている様子も窺われる。

同社の試合速報のページ(現在は休止中)

2008-10-19

寿司屋の卵焼き


先日、ときどきランチの時間にでかけるお寿司屋さんが、珍しくお客さんが少なくて、卵を焼いていた。

お弁当の卵焼きの作り方であれば、よく見かけるが、寿司屋の場合はどうなのか、これを運良く、なんと最初から最後まで、目撃したのである。

お弁当等の卵焼きの場合は、長方形の型をした銅の鍋に、半分を流して形をつくってから奥へやり、さらに半分を流し込んでつくる、と書いてある。オムレツと違ってかき混ぜない。

寿司屋の場合は、まず卵を溶いたボールに(秘伝の)出汁を入れ、火にかけた鍋に少量ずつ流し込んでいく、こういう手順は同様だ。出汁はたぶん、少しサバ節を入れた鰹だしなんかで行けるんじゃないだろうか。でもって、この流し込む回数がなんと10回近い。10回近く繰り返す間にサイド面が形作られ、平面から立体へと立ちあがっていく。

で板へのせると、測ったように具合のいい長さに収まり、全体からふわ〜っと湯気がたちのぼるのであった。

料理本、今回のおすすめはこのリスト↓
amazonの料理本の紹介リスト
メイグイさんの必ず得られるものがある料理本!

2008-10-18

親にパソコンを教える!

とは、そんなにたいへんなことなのか?──Yes, it is.という話は、結構枚挙にいとまがなかったりする。

先日も自分の親ではないのだが、息子たちが面倒がって教えてくれないのだが、自分は使いたい、どうにかならないだろうか、という話があって、そういえばこの問題解決はなかなかたいへんなのだと思い出した。

基本的には、パソコンに限らず何らかの機械化が社会的に不可避であるならば、疎外が起こらないように誰もが使えるようにしなければならない。しかしまずそういう話なのか、その人が自分は個人的に使ってみたいという話なのか、というところで分岐してもらおうとすると、そこにどうも同年代の他に先んじて、というこの世代特有の感覚があったりもして、「私がやりたいんだ」というような話になる。

で何がやりたいのか、というところまではっきりしたとして、教え始めると、その人に対してふだん感じる理解力とか包容力とか、基礎的な学力とか、そういったことにおよそかかわりなく教えたことがぜんぜんできないということがたいがい起こる。みなさんもご経験ありませんか??

うちの親なんぞはあのリョーシカが教えてもだめなくらいだから、と思うと絶望しそうになるが、一方コドモは家庭に在る程度の機械なら、何も教えなくたってサクサク使うわけだから、教える教えない以前のところが問題なのかもしれない。歳だからと親たちは言うが、どちらかというと私には「鉛」を知らない野鳥が薬莢の鉛で死んでいく風景が思い浮かぶ。

2008-10-17

リョーシカ、帰る。


海外出張からリョーシカが戻り、今週はバシバシとブラッシュアップした『週刊リョーシカ!』をお届けしております。

『週刊リョーシカ!』は、量子&理論物理学者の「リョーシカ」と、リョーシ猫の「わたし」の会話でつむぐ量子物理学入門から量子力学、情報処理の基礎、量子情報処理、量子コンピュータ入門といった内容を経巡る週刊コンテンツなのですが、そろそろ公開から1年を迎え、シリーズ終了まであと一息というところ。ぜひ公開とリアルタイムでお楽しみください。

しかしまあリョーシカが帰ってくると、いきなり理系濃霧発生、という趣でございます。

『週刊リョーシカ!』
http://www.famipro.com/ryosika/

2008-10-16

痛みはどこに在るのか?

体に痛みがある時、よく「切られるように痛い」とか「石が入っているようだ」といったように表現する。日本語は、「腹黒い」のように、非抽象的な表現が本領だそうだから、そういった点も影響しているのか、誰でも広く一般に、こういう表現を使いこなしているように思う。

しかし、一方で「石」だと思うと、頭の中でその痛みが本当に「石」になってしまい、それがかえって悪影響ということも多い気がする。卑近な例で言うと、わたしは最初「人工とうせき」というのが「投石」だと勘違いしてた。というのも、腎臓に「いしがある」という言い方をするので、てっきりその「石」だと思ったのだ。ついでに出産中に「せっかい入れます」と言われたときも「石灰」を入れるんだな、と思ったりした。イメージは「アルカリ」で、「タルカムパウダー」である。もちろんそれは全然間違い。本当は「切開」で、石じゃなくって医師の「執刀」を意味したのであった。

痛いで笑える場合はいいけれど、しかしそうは言っても、笑っているより、正しい認識によって痛いの呪縛から逃れられた方がよいのではないだろうか。これも実際に体験したことがあるのだが、架空の痛みを痛がっているということもある。わたしの場合は自分の体なのだがちょうど見えない位置にあり、傷がふさがっているにもかかわらず、約半年も実際に「痛いと感じて」いたという体験があるのだ。

その痛みは、実に唐突に終わった。つまり、鏡を使って傷が存在しないのを見て、わたしは「信じられない」と思い、そこから1日以内に、ぴたりと痛くなくなったのである。もともとは確かに痛かったのだが、そのうち「痛いはずだ」とか「よくならないんじゃないか」とか「まだ悪いに違いない」といった増幅作用のようなものだけが残ってしまい、どこかで本来痛いかどうかは、どうでもよくなってしまった──そんな経緯だったのではないだろうか。冷静に考えれば、長くとも2週間程度で癒える傷だったに違いないのだった。

ところで先日、抗ガン剤の副作用で脚が痛いという義母に、その話をえんえんとして、「つっぱるような気がする」というのを、本当に痛いかどうかは意外といい加減なものであるからなるべく気にしないようにして、少し歩いてみてはどうですか、と勧めた。しかし彼女にはそういうのは効かないのだった。
「瑠絵さん、ちがうのよ、私のはほんとうに痛いのよ」

2008-10-15

暦と月の満ち欠けと。

インターネットで便利になったことはいろいろあるが、正確な暦が手に入りやすくなったというのもそのひとつに数えることができるだろう。

かつては広告制作物としてカレンダーを作っている人が周りにも多くいたが、私はどうも暦を校正するというプロセスが、どうも性に合わないと感じた。というのは昔は正しい未来の暦というのを、国民の休日を含めて入手するのが、かなり手間であったように記憶するのだ。

今なら暦をダウンロードしたり、ウェブで見たりして、その正しい暦と照らして校正すればいいから、納得のいく校正ができる。

暦はここにある↓
国立天文台
天文情報センター 暦計算室


今日は満月だそうである。

2008-10-14

駅と広告の2表情。



この2つの写真は、「そのまんまチラシ」の原寸・現物主義とは逆に、広告とその置かれている状況も一緒に写したもの。新宿の地下街の、ハルク入口から西口へかけて円柱形の柱が並ぶエリアも、一種の広告名所ですが、なかなかそういうのは撮れなくて、もっぱら駅が多いのが現状。人のアクティビティや天候などが微妙に写し込まれているところなどをご覧頂ければ幸いです。

2008-10-11

コメント設定を改善しました。

おはようございます。
10月1日にコメントを事前承認制に切り替えましたとお知らせしましたが、クリボウの Blogger 入門を参考にして、以下のような仕様にいたしました。

・事前承認制を解除しました。
 コメントを記入すると、すぐに反映されます。

・コメント管理が可能になりました。
 記事との関連があまりに薄く、読者一般に広く不快な印象を与える記述等については、管理者の判断により、いただいたコメントを削除する場合があります。

・こちらからトラックバックをかけることも可能になりました。
これまで、他の方のブログ記事に、「科学と広告のブログ」からトラックバックをかけるやり方がわからなかったのですが──判明しました! さまざまなリレーションで、ブログを盛り上げるようにしたいと思います。

という概況です。
よろしくお願いいたします。

2008-10-10

秋には秋の、リョーシ猫近況。


『週刊リョーシカ!』の「わたし」役をお願いしている猫は、その素顔はかなり優雅な暮らしぶりである。

春は春で、暁を覚えず、夏は夏で、ベランダで長い昼寝をし、秋は秋で、この通り。

『週刊リョーシカ!』では、猫の顔のかなりの数のバージョンを用意して、これを駆使している(!)のですが、リョーシカも今日でなんと47回を数えるので、かなり見慣れたというか、見覚えたというか、最近ほんとうの猫を見ると、ああこれは○○というファイル名の顔だなあ、などと逆連想してしまうほど。

ちなみにこれから冬になると、寝場所は炬燵の中と決まっております。

2008-10-09

投稿100回記念。ようこそ。

六花亭カタログ
先日、北海道の六花亭というお店のお菓子缶を買った。ふきのとうの描いてあるホワイトチョコレートなどで有名な、おもたせ系、お取り寄せ系の老舗である。

そしたら缶の中に商品のパンフレットが入っていて、その表紙にあったのが、画像にある「ようこそ ようこそ」。

そうか、二つか。

少し前に、理論物理学者の根本香絵氏と共著で『ようこそ量子』というのを書いたのだが、その時の「ようこそ」の気持ちを思いだして、そうか二つかと思ったのだ。「ようこそ ようこそ」もなかなか感じがよいなと思いました。

さて、当ブログも、今回でなんと100投稿目。こちらも、ようこそ、いつも閲覧ありがとうございます。

2008-10-08

新作は、「庭でやろう。」

マナー広告:庭でやろう。
家で、海で、山で、ときた東京メトロマナー広告シリーズの第4弾が貼り出されていますね。「庭でやろう。」

このスイングの思い切りよく、しかもスローモーなのが、ココロ洗われます。非難してるんだけど、勧善懲悪でないのが、今回もおおいに救われるポスターです。前々回の「海でやろう。」の水中とか、今回の風のようなアイテムというか、テーマが織り交ぜられていると、私は、楽しさがさらに増すような気がします。

しかし、いつまで続くのかなあ。次回も楽しみです。

2008-10-07

非常ベルが鳴ったら……

火災報知器

先週の日曜日の昼下がりに、駅近くの図書館に自転車を置いて、ちょっと駅前で用を足していたら、不意に火災報知器と思われる非常ベルが鳴り始めた。

商店街は、私鉄の急行停車駅とは思えないほど昔ながらの、大きなスーパーなどもない、アーケードなんかももちろんない、まったく小駅の商店街という風情だが、非常ベルが鳴っていてもいつもと同じように自転車がゆききし、人が通っている。

それでも八百屋の主人が道をうかがうように出てきたり、ドコモの制服のお姉さんが、どこで鳴っているのか確認しようと道で話をしていたりと、なにより地元の人がうろうろしていたので安心した。

火災報知器等に限らず、センサーのような計器を設置したら、それが作動することがあり得るのは当たり前である。たとえばよく人が通ると点灯する玄関灯があるが、私の家の近くにそれをかなり広範囲に設定しているお宅があって、その家の前をバイクが通ってもいちいち点灯している。この場合に、たとえば範囲設定ができないというように機械の方に問題がある場合ももちろんあるが、性能については買う前から明記されていた可能性も高く、したがってたぶんそういったことも含めて使いこなしがうまくいっていないものと思われる。

この機械はあるが使いこなせていない、という事例は、やはり多い気がする。

使いこなせていないと言えば、別にパソコンに限らず、非常ベルのような計器や、駅に設置してあるAED(自動体外式除細動器)なども、誰もが使いこなせそうには見えない。バス車内のお知らせによれば、パスモなどのICカードで、操作の流れによって、二重に支払っている場合があるという。

学校で行われる交通安全セミナーのように、普及していく具体的な機会があると、よりよいのかもしれないですね。

2008-10-06

すごいなあ、ウィントン・マルサリスと、アップルの広告力。

夫がブログでウィントン・マルサリスとウィリー・ネルソンのアルバムを紹介している。それが、下のようなジャケットだ。二人いるうちの左が、ウィントン・マルサリスで、ジャズトランペットの巨星である。
Two Men with the Blues [Analog]

Blue Note

amazonの紹介ページ

音楽やジャズに詳しくない方でも、ああこの人みたことある、と思うのではないだろうか? としたらそれはアップルのiPodのCM、あの「Sparks」というとんでもない演奏とともに観た映像の記憶ではないかと思われる。

Youtube
Wynton Marsalis- Sparks

そっくりって、同じ人だから当たり前だけど、それ以前のジャケット写真ではまるで別人のようなのもある。このウィントンの佇まい、表情がすべて、ほんとうのウィントンなのではないかという迫真があり、本人も自分にフィットして満足しているようにも見えるイメージングだなあ、と見とれた。CMが先行しているだけに、アップル敷いた道なんじゃないかと思う。

2008-10-05

圧力鍋は、プチ・パラダイム変換である。

圧力鍋を使い始めて約半年になるが、最初に使った時に大きく感じたことは、この調理用具は、このこれまで自分の中でそれなりに積み上がってきた料理のコツとかいったいわゆる技術を、いったん無にするんだな、ということだった。

これまでの「カン」が使えないのである。

ふだんはそれほど意識しないが、料理をする人なら、このくらい湯気が出てきたら、こんな臭いがしたら、こんな音がしたらこれは何かのサイン、という情報の束を持っているものだ。そんな時は、鍋のフタを開けたりずらしたりして、こうするとうまくいくというリアクションのバリエーションがあるのだが、要するに、そういったことがことごとく駆使できないのである。

ただ、料理の取材をしてほんとうのプロの料理の仕事を目の当たりにすると、よーくわかることなのだが、実際には私のような、ふつうに家庭料理を作っている程度の料理人の「カン」は、根拠に薄く、極めて正確さを欠いている。(もちろんそうでない方もいると思う)

検証されてないけれども習慣でやってきたというわけならば、習慣が違えばやりたくないのは当然だ。圧力鍋はいままでと勝手が違うから使わない、という人が現れても不思議ではない。

つまり、圧力鍋の場合は、類推がきかない。だから、逆にもうわからないものとして、計量的、検証的に取り組むのが、面白いと思う。

ところで、ことごとく類推がきかないもの、といえば思い出すのは量子である。量子のおかげで、リョーシ猫もこういうチャレンジが気軽にできるようになったのかもしれない。

2008-10-03

コメントの設定変更について

先日、初めてのコメントをいただきました。shikaさん、ありがとうございました。以下の記事からご覧になれます。
「はじめの定義が受け入れられない。(2008-07-18投稿分)」

「はじめの定義」というのは具体的にどういう場合を指すのか、について詳説くださっていますので、ぜひご覧ください。

なおポストが2つありますが、投稿の新しい方でご覧頂ければと思います。

それから、shikaさんのご指摘で、遅ればせながらコメントの文字化けが解消できない(Safari、Firefox)ことが判明しまして、従来から懸案であったトラックバックの文字化けと併せて解消いたしました。

また Bloggerでは管理者・投稿者双方で、後からコメントを更新・削除等できない仕様であることもわかり、事前承認制に切り替えました。書いたコメントがすぐに表示されずご不便をおかけいたしますが、どうぞご了承ください。

2008-10-02

ワールドお天気。

ワールドカフェの話は、もう少し長くなるかと思っていたが、昨日強引に押し込んでしまったので、さっぱり言うこともなくなってしまいました。(反省)

今日はよく晴れている。

そういえば先日、2000年4月のニューヨークには雪が降ったか、ということを調べていて、1998年からの世界の気候を記録しているサイトに遭遇した。
US Department of Commerce
National Climatic Data Center(NCDC)
Climate Monitoring


2000の4〜6月、世界はこのような気候でした、ということがほんの数行(5〜6行)にまとまっているのは、なかなか新鮮だ。そして調べ物のほうは、確かに雪は降っていて、そのブリーフサマリに乗っていたのだから、そこそこ珍しい気候だったようだ。(この話は後日、[響けブログ]に掲載します)

ところで天気と言えば、気象庁のサイトもときどき見に行く場所のひとつだ。ところで余談だけれども、NCDCのサイトにしろ、気象庁のサイトにしろ、「ワールド」の情報と言いながらもちろん自国にフォーカスされているのであって、「ワールド」をターゲットにすればするほど、自国が真ん中に配置されているのが見えるのも面白い。

さて気象庁のサイトで、私がよく見るのは気象衛星からの画像と紫外線情報である。このうち気象衛星写真は、よく私たちが見る日本域だけでなく、北半球や全球の画像もある。全球はなかなかダイナミックで、台風がある時などは、その怖さがよく伝わってくる。

気象庁、防災気象情報「気象衛星」のウェブページ

2008-10-01

カフェと対話の可能性。

地球というものをね、
誰も泣いてないような星にしたい。(中略)
魔法を使って宇宙人にお願いするんです。(中略)
ある高等な宇宙の生命に
地球に来てもらって、保護してもらうんです。

関根勤「ほぼ日刊イトイ新聞」もしもの世界インタビューより

前回のつづき
「ワールド・カフェ」という言葉を最初に聞いたとき、私はなんとなく──滅びてもしょうがない、と思えるまで話すのかな、と思った。私たちは。それでなんとか納得することにする、そんな顛末かもしれない。ふいに、タイタニックの沈没を思いださぬでもないけれど。

今日はとことん科学と離れてしまいそうだけれども、村上春樹氏は、人と人とがにっちもさっちもいかなくなったとき、うなぎくんに解決してもらう、と言っている。申し訳ないけれども正確な内容は著作にあたられたい。そうだ、うなぎくんに!という場面で、うなぎくんは登場するのである。

ところで生物は食物連鎖をはじめ、そもそもひと続きの連なりでできている。ここからはさらにフィクションだが、そのうなぎくんに、矢野顕子が「かえるに言われちゃしょうがない」と言うのである。

そしてパペットマペットのかえるくんが「呼んだ?」というから、「呼ばない」というと、うしくんがかえるくんに噛まれるという寸法だ。

どういう寸法かというと、ひとだけではどうもダメだということになってくると、いろんな登場人物が現れるらしい。冒頭の引用の場合は、なんとも、宇宙人だ。この新しい登場人物は、いつもより知的な生命体である。そして、とりあえず、ハッピーエンドということになっている。
こちらはケストナーの「動物会議」
岩波書店
詳細へ