2008-10-05

圧力鍋は、プチ・パラダイム変換である。

圧力鍋を使い始めて約半年になるが、最初に使った時に大きく感じたことは、この調理用具は、このこれまで自分の中でそれなりに積み上がってきた料理のコツとかいったいわゆる技術を、いったん無にするんだな、ということだった。

これまでの「カン」が使えないのである。

ふだんはそれほど意識しないが、料理をする人なら、このくらい湯気が出てきたら、こんな臭いがしたら、こんな音がしたらこれは何かのサイン、という情報の束を持っているものだ。そんな時は、鍋のフタを開けたりずらしたりして、こうするとうまくいくというリアクションのバリエーションがあるのだが、要するに、そういったことがことごとく駆使できないのである。

ただ、料理の取材をしてほんとうのプロの料理の仕事を目の当たりにすると、よーくわかることなのだが、実際には私のような、ふつうに家庭料理を作っている程度の料理人の「カン」は、根拠に薄く、極めて正確さを欠いている。(もちろんそうでない方もいると思う)

検証されてないけれども習慣でやってきたというわけならば、習慣が違えばやりたくないのは当然だ。圧力鍋はいままでと勝手が違うから使わない、という人が現れても不思議ではない。

つまり、圧力鍋の場合は、類推がきかない。だから、逆にもうわからないものとして、計量的、検証的に取り組むのが、面白いと思う。

ところで、ことごとく類推がきかないもの、といえば思い出すのは量子である。量子のおかげで、リョーシ猫もこういうチャレンジが気軽にできるようになったのかもしれない。

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