2008-10-18

親にパソコンを教える!

とは、そんなにたいへんなことなのか?──Yes, it is.という話は、結構枚挙にいとまがなかったりする。

先日も自分の親ではないのだが、息子たちが面倒がって教えてくれないのだが、自分は使いたい、どうにかならないだろうか、という話があって、そういえばこの問題解決はなかなかたいへんなのだと思い出した。

基本的には、パソコンに限らず何らかの機械化が社会的に不可避であるならば、疎外が起こらないように誰もが使えるようにしなければならない。しかしまずそういう話なのか、その人が自分は個人的に使ってみたいという話なのか、というところで分岐してもらおうとすると、そこにどうも同年代の他に先んじて、というこの世代特有の感覚があったりもして、「私がやりたいんだ」というような話になる。

で何がやりたいのか、というところまではっきりしたとして、教え始めると、その人に対してふだん感じる理解力とか包容力とか、基礎的な学力とか、そういったことにおよそかかわりなく教えたことがぜんぜんできないということがたいがい起こる。みなさんもご経験ありませんか??

うちの親なんぞはあのリョーシカが教えてもだめなくらいだから、と思うと絶望しそうになるが、一方コドモは家庭に在る程度の機械なら、何も教えなくたってサクサク使うわけだから、教える教えない以前のところが問題なのかもしれない。歳だからと親たちは言うが、どちらかというと私には「鉛」を知らない野鳥が薬莢の鉛で死んでいく風景が思い浮かぶ。

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