2011/01
まず隗より始めよ
2011/02
他山の石(としての私)
2011/03
ウドのつるに茄子はならぬ
でございます。
こうやって並べてみて思ったのは、これ、もしかすると来年も同じような発想したりして、かなり周期的なものなんじゃないかってこと。ということはあまり進歩がないから、そこでなんか知恵を出そうとするところに、効用があるんじゃないかと。農業についてかつて、1年でやっとこれだけわかって、少しずつ進歩する、と気づいたときに、農業という営みが少し理解できたような気がしたけれども、このだんでいくと、農業のひそみにならって、であります。
写真は栽培二年目のカシス。
→この鉢植えの前回の写真はこちら
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