科学コミュニケーションとしてできることを考えようというメーリングリストが回覧されてくる。と、同じ日に、「ほぼ日」で糸井重里氏のメッセージを読む。
まことに、非常時向きでない人間なのです。
玩具とおなじ、不要不急の人間ですし、
そういうふうに生きてきました。
好んでそういう道を選んでいますし、
そのことに誇りさえ感じております。
──ほぼ日刊イトイ新聞「今日のダーリン」2011/03/14より
科学と広告のコミュニケーションをやっている自分は、どちらかというと、糸井氏のほうに親近感を覚える。「科学」とついているから「コミュニケーション」も何かできるような気がしてしまうけれども、今は平時に増して無力さを全身で感じ取っている状況。
現地の、いちばん大変な思いをしている人たちの
邪魔にならず、役に立つにはどうしたらいいか。
──ほぼ日刊イトイ新聞「今日のダーリン」2011/03/14より
と、上記は同じ引用元から。このことを思うと、やはり「危機」のときに「コミュニケーション」部門ができることを考えないわけにはいかず、それによってたぶん「科学コミュニケーションとは何か?」を修正することにもなるだろうし、それによって自分の適性も再判断しなければなるまい、という次第は猫でもわかります。
しかしながら引用元のこのような文章は、
この人が本気になったときに、
語りたいことを、いかに少ない文字数で語れるかを
見せつけられる思いがします。
あ、それと、こういうことを考える時には、議論よりも糸井氏のように「ミーティング」のほうが、行動しようという人には参加しやすいのではないかと。
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