2008-07-17

取材の録音を聞くと、知らない時間が流れていた。

前回、科学者本人が自分の考えを話すのを直接聞く機会は重要だ、という話を書いたのですが、そのような機会として、最近2,3取材の機会があって、その時の様子を録音したものを聞いてみると……というのが今日の話です。

いわゆるテープ起こしというのは、一般に──って何が一般になのかかなり不明ではあるけれど──あとで聞いてみると、相手の話を自分が少し取り違えていたり、気の利いたことを言えなかったりしているのを発見して、ポリポリって感じに頭を掻いて、まあしょうがないか、というようなものではないだろうか。

ところがその最近の2,3の機会で、テープの中の私は、相手の研究成果に関する説明を聞き、それに応じて、その成果が持つ意味とか意義という一歩踏み込んだ内容について切り返したり、つじつまが合わなく思えることを端的に質問したりして、それが相手にとってもそこが疑問だと思うのはよくわかるという質問になっていることに、とても驚いた。そんな手際のよい取材だったっけな?

こういうのは、かなり自慢に聞こえるかとは思うのですが、実はこれを聞いている現在の自分というものは、テープの中の私の言動をまったく予測できなくて、そこに流れている時間に、ぜんぜんついて行けないのである。

やれやれ。どうなってるんでしょ、一体。

そこでこれがその、例のミラクルじゃないか、と思うわけなのである。科学者の話は直接聞く時、私がいつも考えているのは、この人も人間だから、人間の考えであるからには理解できるはずだ、というそのことであるような気がする。というか、そういう考えによって、私は話の内容に集中することができる。そのようにして相手の考えに入り込んでいくと、おそらくその考えの流れで理解しているために、その時はあるすばらしい速度で、わかるのである。いったんわかれば、その後一瞬わからなくても、よく聞き直せば思いだされることもある、ということもあって都合がよい。

ただまあ、現場の時、本番のツキが過ぎてしまうと、どうしてそこで自分が急にそれを理解できたのか、かなり別人28号、ではある。

1 件のコメント:

ビジネス会話のマナー さんのコメント...

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。