2008-09-09

タワーとたくさんの平屋。


前回「平屋とタワー」についてふれたが、実はイーウーマンサーベイというウェブコンテンツに、大道芸人で数学者のピーター・フランクルさんが登場して、こんなことを書いている。

数学は高層ビルに近い構造です。途中の1階部分でも抜けたら全体はWTCのように崩れます。一方の文学はたくさんの平屋が並んでいるような構造です。徒然草を読まなくても三島文学の専門家になれます。

ものごとには『「広く浅く」と「狭く深く」の2つのやり方』があるとフランクルさんは言う。そして数学はどちらかというと「狭く深く」なのだそうだ。

ところでこのいわゆる「タテとヨコ」という区別は、「本音と建前」にもなんとなく似ていて、そうやって切っておけば済む何事かのような気がするのも、いなめないことと思う。だがフランクルさんが言っているのは、まったくその通り、そのままの話だと私には受け取れる。そしてこれらを、いろんなふうに思う。

たとえば、「狭く」は誤解されやすい。なぜそこから始めるのか。以前書いた「はじめの定義が受け入れられない」とも通じるところかと思います。

「途中の1階部分でも抜けたら全体がワールドトレードセンターのように崩壊する」
というのは「細かいことにこだわる」というのとは違う。実際ピーター・フランクルさんは同じ原稿の中で「数学が苦手な人のなかでは、細かいことにこだわらない人の方が多い気がします。」とも言っている。

誤解を恐れずに言えば、数学が「途中の1階部分でも抜けたら崩壊する」のは、「狭く深く」が故に不可避なだけであるというのがひとつ。もう一つは1階と2階、15階と16階とは著しく違うという認識が前提されなければならない──そこへいくと平屋の隣同士は「細かいこと」なのである、という認識だ。実際人間はタテに飛躍するのはたいへん難しい。ちょっと隣を覗いてみるのとは違って。

このように見ていくと、この記事がとても親しみやすい数学入門になっていることに気づく。これを読むことで、そうか数学ってそういうものなのか、というふうに思えるからだ。どんな分野でもそうだけれども、それでいったい何をやっているのか、という抜本的なつかみが悪いと、なかなか進みがはかどらない 。科学を相手にするときは、そんなふうにてこを利かせながら進むのがコツというべきだろう。

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