2008-09-01

クロウトの道。


先日このブログで「シロウトの道」を書くときに、まさかクロウトの道について書くなどとは思っていなかったのだけれど、それが先日、夫の音楽の師匠でもあるドラムおじさんN氏のパーティがあって、今回はその時いらした写真家のミズタニさんについて書く。

水谷充さんはすでにさまざまなメディアをはじめ著書も多いので、作品はそちらをご覧いただくとして、一緒に取材などしていていつも思うのが、「ものおとがしない」というこのことである。もっというと「気配がない」。

写真家というのは、パパラッチというくらい(ってどういうくらいか不明だが)蠅のようにうるさかったり、その動きが迷惑だったりするものだ(往往にしてね)というイメージであったりするが、それは逆に援護すると、撮影のためのベストポジションへ移動した者が勝ちという世界でもあるので、ある意味しょうがない。ミズタニさんもかくのごとしである、いやカメラマン一般よりずっとずっとそうだといっていい。

ところがミズタニさんの場合は、まさに水のように自然で、まったくその場の空気が動かない。このひとは半透明人間なんじゃないか、というのが私の憶測である。

というわけでその日も、最前席にコドモと座っていた私の隣へやってきて、しばらくするとぱっと立ちあがり、さっと振り返って観客なんかも撮っちゃうわけなのだが、これがまたさっと立った瞬間に、それがなぜか観客はハッとしないんだよなということが、これまでの経験から手にとるようにわかるのである。

かくいう私も知り合いの方たちをデジカメに収めようと、最前席に陣取っていたわけで、このように同じ現場を撮るような機会に恵まれると、ほんとうに「何を撮ろうとしているか」から始まって、ひとつひとつ全てのプロセスがかくも違うんかい!ということを思い知らされる。今回の例でいえば、簡単に言えばミズタニさんはその日、その場かぎりのひとの表情を狙っていたのだし、私は「パーティ」のプログラムを順にそれらしく記録していたのだ。

実は私はこのような撮影の機会が案外多いのだが、ミズタニさんに隣に来てもらってはじめて、私は自分が何をやろうとしていたか、気づいたのだった。「それらしく」だ。で、何を撮るの? 何をphotograph to rememberなの?

そういえばイラストレータの佐々木悟郎さんが、音遊人という雑誌で「Songs to remember」という連載を書かれている。何を隠そう、その吾郎さんとN氏の素敵なバンド「RIVERS」こそ、パーティのステージで主役の一角を占めていたのだった。

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水谷 充 A PRIVATE VIEW
佐々木悟郎さんの記事

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