自分の中で科学へ向かう気持ちとか情熱といったものがどこから由来するかというと、言うなれば「わからないもの見たさ」なのだろうと思う。
年齢に応じてついてくる知恵というものがどうもあって、それはいいものとは限らないのだが、ほらあるでしょう、○○年前の自分だったらこうは対応しなかっただろうな、というような、そういうものの集積が、世の中を理解可能なものにしていて、わからないことも「わからない」ではいOK、という具合に処理できるようになっていくように思う。
その一方で、そりゃ自分に知らない世界があるのはとーぜんだ、と大人は言うわけである。もちろんだ。コンゴについて、北極について、深海について。知らないことなんかいくらでもあるに決まっている。いやちょっとヨコのお隣さんのことだって、結構知らないことありますよ。
そこで科学はどういう意味があるかというと、私にとっては、そういうヨコにわからないことはおいておいて、タテに可能性を拓くものなのだ。過去へではなく、特に未来へ。
年齢とともに過去が増えるのは当たり前だ。と同時に、どうも年齢とともに、未来を想像する能力が減るような気がする。科学はそこをアグレッシブに破る知恵のようにも思うのである。
2008-09-22
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