2008-09-16

建物は今でもシンボルなんだろうか。

world trade center
[響けブログ]という、私の別ブログで、このところ、2000年に行ったニューヨーク旅行について書いている。当時夫が撮影した入魂の写真群──なんとフィルムカメラである──と、2008撮影のGoogle Street Viewの画像を見比べながら、1つの投稿でワールドトレードセンター崩壊前後のニューヨークを同時に訪ねようという趣向だったのだが、これがどうしたことか、好評でないのか、アクセスが伸び悩んでいる。そんなことがあって、これはどうも、古い知識であり情報なんじゃないかという気がしてきた。

あながち古い話ばかりしているから、という意味ではない。ワールドトレードセンターという建物がかつてあり、その中で多くの人が働き、世界に少なからず影響を与え、そのことがまた街の一部であったという時期が、かつてあった。そしてそのような記憶が、建物そのものの記憶と分かちがたく結びついていたはずである。──この「結びついているはず」というところが古いのではないか?

実際問題として、自分でさえ、建物と物語の結びつきはかなり風化しているように思われる。建物が建っている写真を見ても、その物語や事情といったものが、思うように喚起されないのだ。──というわけでつまり、建物を単なる人工物ではなくそのような物語の一部として読み取る情報処理のようなものがわれわれの中で廃れてきているのではないか。

ただよく考えてみると、それが風化というものであって、今にはじまったことじゃないという気もする。しかしながら、それにしても早いというか、明らかにその風化はスピードアップしているのではないだろうか。そもそも9・11の報道にしてからが、今年はずいぶん地味なものだったように思う。土地や建物が蔵する物語/情報喚起力でニューヨークの摩天楼を語ることが古くさいならば、それがシリコンバレーだって同じということになるはずである。

9・11の報道も、2008年の焦点は、ずばり大統領選である。確かにこちらもまた、今に始まったことじゃないという気はするのだけれど。

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