2008-09-24

社内便は飛んでいく。

今朝、朝食を食べていると、子供がふとベランダの向こうに何か鳥みたいのが斜めに横切った、というので、落下していったのか、と尋ねると、それだ、ちょっと見てくる、という。

子供が学校へ出て行ってからわかったのだが、カラスが、桜の木でもう最終ステージという感じで鳴いている蝉がふらっと飛び立つのを、空中から狙っているのであった。この様子には猫もだまっちゃおれんらしく、私の後ろから、やはり窺うように外を見ていた。

ヒトにとって「飛んでいくもの」とは、やはり地上からの視点で、斜め上方をうち眺めるようなのが具合がいい。

ところで社内便を「飛ばす」などというが、これはもちろん「飛脚」だの「郵便」だのが「飛ばす」という組み合わせをひいているわけなんだろうけれども、昔、日本の病院だとか、古いアメリカ映画とかでは、ビル内の文書やカルテの運搬に、空気圧のかかった透明のパイプにプラスチックのカプセルを流すシステムを使っていた。

病院であれを見ると、どうも病院という「体内」を巡る「循環器系」のように見えてしかたがなかったが、そうであるということは、やっぱり時々どっかで詰まったりするんだろうなあ、などと要らんことをついでに思ったりもする。

なぜカプセルのシステムがあるとわかるかというと、それは大概室内に露出していて、通過する際にボコッというようなちょっとした音がするからだ。そこで見上げると、カプセルはちょうど天井付近へ差し掛かっていて、またボコッという感じに階上へ抜けていく。それがまさに、社内便が「飛ぶ」原風景(!?)のように、私には思いだされるのである。

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