2008-12-17

科学と小説について

なんだか今回もどでかいテーマで恐縮ですが、最後には本の紹介へ辿り着く予定ですので、よろしかったらおつきあいくださいませ。

ライターという仕事は、英語ではwriterというのは作家のことであったりもするわけだが、日本語では(というか日本ではというかどちらがふさわしいかわからないが、ともかく)書くことが仕事ではあるけれども作家ではない、つまり小説家ではない人のことを指す。

ライターは、実は、将来的には小説家になりたいんだろうと思われているが、それは往往にして本当であったりもする。すばらしいノンフィクションの書き手が小説家になってしまうことはよくあるし、それはよかったりもするし、そうでなかったりもする。そうこう言う自分だって、書けるなら、小説家になりたい。未然の事項であるから憧れだとも言えるだろう。

なぜ小説が王様なのかというと、書くことが一次的だからである。小説より以前に事実はない。それがフィクションということだろう。だから書く人は、書くならばフィクションを書きたいのだ、ろうと思う。

さて、科学について書くということは、どうしても二次的になる。広告で言えば、商品あってのコピー(広告文)であるのと同様で、科学の考えがあって、それを言葉にするのが「科学について書く」ということに他ならない。もっとも、もともとの科学の考えが十分言葉になっているとは限らないし、科学に限らずたとえば音楽について書くような場合はどうなのか、と考えると一次的という言い方は必ずしも適切ではないかもしれない。つまり体験として最初に来るもの、ということが言いたかったのである。

しかし、もし、これが科学と広告でなく、科学と小説だったらどうなるのか。

いやまあ、これはほんとうに手に負えなくなるのである。さっき簡単に言ってしまったこともすぐさま、では「再現」という問題はどうするのか、とかいろいろ困るではないですか。

そこで『瀬名秀明ロボット学論集』は、そんな科学と小説をめぐる展望が得られる絶好の機会だと思う。ちなみにこれを少し読むだに、私がいかに小説を書けるというところから遠い地点にいるか、ということも痛切に理解できたのであった。

瀬名秀明ロボット学論集
瀬名秀明
勁草書房

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