土井英司さん
ところで現実から離れて、なんか遠い未来に、日本語がどうなっているかなあと思うと──その時は私なんかも、もう死んでしまって、自分のひ孫だって生きていないかも知れなくて、というような未来だ──、「木で鼻をくくった」とか「雨後のたけのこ」とかが、案外しぶとく生き残っているんじゃないか、という気が私はする。今はむしろ古くさいような言い回しというか、歌い方で言えば節回しみたいなもの。
というのも、だいたい英語でも日本語でもたいした違いがないものとか、あっても日本人にしかわからないようなものは、淘汰されてしまう可能性がある。残るのは、人間に共通に、なんかこれはきっと重要だ、と思わせる何かに違いない。でもってコトバ相手だからなにが「重要」なのかは必ずしも定かではなく、「なんか気になる」というようないい加減なところで決まる「重要」であることは十分予想されるわけである。「なんか気になる」というのは、まあ「変わっている」ということでもあるんだけど。
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