2008-08-27

細かいことの改良よりも、大きな良し悪し

コドモの時になんで大人はうまくハサミが使えて、コドモの自分はきれいに紙が切れないんだろうと思った。その時母は大人になれば使えるようになる、と言ったが、その通り、大人になってみたらかなりきれいに切れるようになっていた。

大人といっても若くはないぐらいの部類に入ってくると、そういった生活の細かなことについては、およそ器用になるものだと思う。言葉遣いについてだって、うまく言えないことなんかほとんどないような気さえするし、たいがいのことを始める前に多少の手順を考えてから行うようになっている。いろいろと個人差はあると思うけど、中高生の頃とは雲泥の差であることは間違いないだろう。

そうなってから、その細かな事々について、正解なやり方を説明するのはたやすい。いや、正解にやることも、そのやり方を説明することもたやすい。そういう得意で当たり前なものをとくとくと説いている大人が見苦しいのももっともだ。いや、私が往々にしてそうなのだ。

コドモがその細かいことをやるたいへんさと同じくらいたいへんなことを、大人は大人でやればいい。それはもう少し難しいこと、たとえばもう少し未来へ向けてパースペクティブを広げたものなどはどうだろうか。

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