2009-02-09

『ロボットのおへそ』7 忘却係数とは何か

さて前回のつづきです。

この『ロボットのおへそ(稲邑哲也・瀬名秀明・池谷瑠絵著、丸善2009)』を作る過程で、私はイナムラ先生のお話を聞いているうちに──というか、みなさんも読み進めるうちに感じられるんじゃないかなと思うのですが──ロボットを作るのってどうも簡単じゃなさそうだな、と思えてきました。

どうしてかというと、ロボットは、何かにつけて人間がわかるようには簡単にはわからないから。たとえば何かをロボットにさせよう、と思った時に、それをさせるためにはまずこれができなきゃならない、あれがわからなきゃいけない、あれとそれが区別できなきゃいけない、というようなことがいくらも出てくることが、だんだん予想できるようになるからなんです。

そういうことは優秀なロボット研究者がやっているんだから、彼らがなんとかするだろう……という気がするのも、確かに自然ななりゆきかもしれません。しかし、そうは言ってもものによっては途方もない感じがするものも少なくないのです。

たとえば家の中で、よくこんな会話ありますよね──
「僕の腕時計知らない?」
「朝はテーブルの上にあったと思うけど」
「それがないんだよ」
「ええと、じゃあ洗面台の横かなあ」

こんな時私たちは、もう瞬時に、腕時計がどこにあるかの「確からしさ」の程度をかぎ分けています。朝見たけれども、それからだいぶ経っているからあるとは限らない。そこにないとすれば、よくある場所としては洗面台の横が確率が高いだろう……云々。言葉にしてしまうとやや情報が減るのではないかというくらい結構複雑で緻密な感じに「ありそうな場所」をお互いイメージしながら会話を続けるわけです。──そういうことを、ひとは、しょっちゅうやってますよね?

ところで今日のテーマは「忘却係数」というもので、これは第5章の「あいまいさを乗り切れ!」に、少しだけ出てきます。さて上の会話の「ありそうな場所」を表現する際に、「朝はあったけれどもそれっきり見ていないから“それなりに”ないかもしれない」というあたりを、この「忘却係数」というアイデアを使って考える──するとたちまち、なんかロボットにも出来そう!と拓けるように思えてきませんか?

いやあ、今日は忘却係数が高くてさ、などとさっそく人間にも適用してみたりして……すると今度はロボットとひとのスリリングな関係に、ふと触れてしまったような心地もして。

「おへそ」を軸に、いろいろとロボットの見方を楽しんでいただければと願っています。

[ ロボットのおへそ SPECIAL ]
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