2008-06-20

「感動」はどこから来ると思うか?

これから2つのブログを引用するのですが、ごく短く、ぎりぎりの長さで引用します。すると、そこだけ読んだんで誤解しちゃった、ということも起こりやすいので、ぜひご本人のブログで全体の趣旨を確認してくださいね。

引用元はこちら:
清塚信也official blog
瀬名秀明の時空の旅

清塚信也official blog「ライオンの手紙3」2008.04.06より
人が感動する事には、幾つかのマニュアルがある。
音楽でいえば、和声だったりメロディだったりリズムだったり、色々なパターンがある。
人が感動するパターンがあるから、僕らは近道をするためにそれらを学ぶ。
でも、人って僕たちの事だ。
だから、本当はそんなの勉強しなくても僕らの中にあるということだ。
つまり、人間が猿から進化したときに、何らかの理由で創り上げた感覚なんだ。
人間が自ら創りだしたものなのに、創っておいて複雑になり過ぎて、今それがどんな仕組みかわからなくなった。


瀬名秀明の時空の旅「聖者は口を閉ざす」より
しかし読者である私は、この長い長篇の中でただ一度だけ、自動的にツボを突くこの安手のドラマのシーンで涙を流したのである。人間はそれほどまでに自動的な機械なのだ。

さて清塚信也さんは、新進気鋭のクラシックのピアニストで、すでに「のだめカンタービレ」の影の主人公(演奏)や映画『神童』の演奏・演技指導などでも活躍されている。そのブログに「ライオンからの手紙」という素敵な3連の投稿があって、上記は、その3からの抜粋。

引用のもう一つは、『パラサイト・イブ』をはじめとする小説やロボットに関する著作等で知られる瀬名秀明さんの書評ブログ「瀬名秀明の時空の旅」にある、リチャード・プライスの『聖者は口を閉ざす』に関する記事からの抜粋。

口さがない量子ネコも、今回はなんかもう、この2つを並べて読んでいただくだけでオッケーのような気がしてしまっているのであるが、そうもいくまい。実はいま、量子ネコの頭の中はかなり空っぽで、1つのフレーズだけがぷかりと浮かんでいる。それは……

袖振り合うも多生の縁

というフレーズ。

なぜ「袖振り合うも多生の縁」かというと、まず清塚さんは音楽家であることについて語っているし、瀬名さんのほうは書評の文章であって、これらはお互いにおよそ関係がありません。それなのに、この2つはどこか「袖振り合う」。どこかというと「われわれはどこに感動するんだろう?」というところです。その中でも清塚さんはシステムにフォーカスしており、瀬名さんが今フォーカスしているのはトリガー(引き金)である。

そこで多少の縁です。ほんとうは僕らの中にある、僕らが感動する回路は、複雑になりすぎてそれがどうなっているか最早わからなくなってしまったのだとすると、その回路に図らず、不意にスイッチが入ってしまうという事態も十分考えられますよね。その時の僕らはまさにロボット状態、つまりそれがなぜか、なにかよくわからないままに、感動している、ということになる──というふうにつなげて読んでみることができるのです。すると、この二つ、実はかなり近いことが語られているのではないか。(つづく)

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