2008-06-18

『ほぼ日刊イトイ新聞』を読む。

昨日の投稿
「ほぼ日」10周年を迎えてのごあいさつ
また10年後の自分に、感謝されたい


こういう糸井重里氏みずからのフォーマルな文章は、コピーライティングの教科書だ──と書きました。で、それがどうしてかについて、ごく手短に。

量子猫こと「わたし」が思うに、このテキストは、吉本隆明さんの「何回言おうがいいじゃないか」にちなんでいますね。

 「10年が経ったわけです。」
 「10年は経ったのですけどね。」
 「毎日10年続ける」ということをやってきました。
 ばかのようにでなければ続けられませんでしたね。

「10年」と「続ける」が積み重なっているのに気づかれましたか? こんなふうにはふつう重ねない、しかも重ねられた感じがしない、のはどうしてか。というお手本として読んでみてくださいな。

リンクはこちらから
「ほぼ日」10周年を迎えてのごあいさつ
というのも、昨日書いたように「ほぼ日」のトップページから探すのは一苦労なので。上のリンクからどうぞ。

で、もっと重要なのは、この積み重ねによって、10年がどういうことだったのかを印象づけているところ。ただし、印象の内容については、読み手によってかなり幅のある受け取り方ができるようにもなっていますね。

 果たして、ぼくらは一丁前になれたのでしょうか。
 でも、さぁこれで一丁前になれた、と/思うことにします。
 自分らが一丁前であることを信じます。

と続いては「一丁前」のたたみかけ。ずいぶん続きますね。そういえばこの「続く」感じは、イトイ氏の希望のようにも読めるのです。

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