2009-01-17

続・SMALLコミュニケーション

昨日は結論を急ぎすぎと反省して、もう一度考えることにいたしました。

たとえば長年人類の難問だった数学的な問題に、画期的な解法が示されたとしよう。

そのような解法が本当に正しいのかどうなのか、ちゃんとジャッジできる人間は世界じゅうを見渡しても何人もいないはずだ。解法を導いた人はどこかで「できた!」というやり方を紹介し、それを見てごく何人かが「世紀の大発明だ!」とわかるわけである。

これについて私たちが「世紀の難問が解けたんだって!」と思うことができるのは、ジャーナリズムのおかげである。アカデミーという信頼できるコミュニティが存在し、それをジャーナリズムが正しいものとして報道してくれるから、私たちが正しいと判断できる。

このように科学者間の(前回の言い方に従えば)極めてスモールなコミュニケーションが、人類にとって、大変な普遍性を持つ場合がある。科学的な細かい進歩のひとつひとつは、むしろそのようにしてできあがっていると言っていいだろう。一方で小説などでは、一般に、オタクなものは一部の読者を持っているに過ぎず普遍的な作品にはなり得ない、と考えられているのだから、

科学 スモールなコミュニケーション → 普遍性・大
小説 スモールなコミュニケーション → 普遍性・小

という違いがある。

続いて、では科学を伝えるというコミュニケーションは、ジャーナリズムしかないのか、というとそんなことはないだろう。(つづく)

[SMALLコミュニケーション]
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