2009-01-20

最先端への関心

フランスやイギリス、アメリカといった国々から来た人の印象から思うのだが、日本へ来ると「最先端」というものの価値が目減りしてしまうというか、どうもレートが悪いような気がする。だから「最先端」のほうでも、そんなに安いんなら日本へ持って行かなくてもいいか、という具合である。

こと科学ばかりではなく、さまざまな専門的な分野には「最先端」というものがあるわけだから、たとえばアートなども代表的な一例と言えるだろう。そこでアートと科学とを比べると、それがどうしてすごいのか、それがなぜ人類の新しい一歩なのか、という点で、一般の人にとってどちらがわかりやすいだろうか?

この問いには、実際、ぜんぜん答えられそうもないんですが、ただかろうじて思うのは、その価値や理由について、知っている人たちの間で考えを共有しやすいのが科学で、これがアートであれば、まず喧々となるだろうということだ。というよりも、アートに対して別々の解釈が同時に存在してまったく構わないのだし、理解が異なることは問題ですらないかもしれない。

というわけで、実はしつこくも前回のつづき。

マスとスモールな市場のギャップが広がるほど、ここで共有されている価値を、より広い市場へどう出すか、というのが考えどころになる。これはむしろアートの出番である。だからまず何らかのアート的な方法で拓いてもらう──そういえば、私はいつもこれを「ドアをつける」とか「橋をかける」とか「把っ手をつける」とか言っている、月並みな言い方だけど──。

そして、その拓かれた広場で、今度はこれがこういうわけでそういうわけだから、考えてみてくださいよ、と地道な活動をするのがサイエンスのコミュニケーションの出番だと思う。これは実感にも合っている。サイエンスを伝える活動そのものはとても地味なように、私には感じられるからだ(そしてきっと私だけじゃないですよね)。

一方、アート的な方法でマスへ伝えるというのは、ほとんど広告と言っていいに違いない。結論が出てみると、まるで手前みそのようで恐縮ですが──つまり、科学と広告をいっしょにやることで、最先端が上手く伝わるのではないか、と思う次第であります。

(まだつながっていないところがあるように思いますが、またの機会とさせていただきます。この話はひとまずこれにて。)

[SMALLコミュニケーション]
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