2009-01-24

マンションの間取り図に思う。

今朝新聞の折り込み広告を畳んでいたら、マンションの広告ばっかりだった。そのうちのひとつが世帯内の家族構成が変わっても「間取りを変えられる構造」というのをウリにしていたのが目にとまった。なんにでも「科学」のしっぽはあるものだ。

目に新鮮だったのは、マンションの一室分がまっさらに描かれていたからだ。私たちに「間取り」が身近なのと対照的に、まっさらの部屋というのは、事務所用物件ぐらいのもので、住居のようには見えないわけである。

もっともそのマンションにしたところで、まったく普通通りの「間取り」になっているのだが、これが不都合になったら変えることもできますよ、というのが宣伝文句である。だがそれだけでも変化だ。私は「部屋は箱」という感覚が賃貸の物件に広がり、借り手が自由に内装を変えることができるようになるといいと思う。

それで思い出したのは、かなり昔になると思うのだが、いつごろからか「リフォーム」というコトバが流行りだしたときに、とんでもないリフォームで構造的に危険な家がいっぱいあるという指摘をするテレビ番組を見たことがあるなあ、ということだった。記憶は確かとは言えないが、木造の家屋の柱なんかをずばずば切ってしまって、その2階にユニットバスなんかを入れちゃうというような、なんだかすごい話だったと思う。そしてそれはひとつの教訓を置いていく番組だった、というのが印象的だったのである。すなわち──

間取りを変えちゃあいけねえよ。(大工さんの口調で!)

そうなのだ。建物が木造である場合は、間取りは簡単に変えられないのである。間取りというのは家そのもの、構造そのものでもあるのだ。そこで建物が鉄筋コンクリートになっても、私たちはどこかで、その「知恵」を適用してしまっているのではないだろうか? と思ったのである。

技術が変わっても、ひとびとの意識が変わらないことで、別の発展を遂げていくということは、案外身近に起こる。これもごく簡単だけれども、そんな一例なのではないかと思いました。

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