少し以前になるが、お世話になっているある先生が、かつて学生時代に阿部謹也先生の講義に出て、
気持ちわるいと感じたら、そのことを覚えておけ。
とおっしゃったことを覚えている、と教えてくださった。そこで私もまけじとご紹介したのだが、学生時代、「映画表現論」という蓮實重彦先生の講義に2年ぐらい出ていて、蓮實先生が、
映画を観て、自分が面白いと感じたら、それがなぜなのかを考えなさい。
とたぶん繰り返し、学生にメッセージしていたことを思い出したのだった。以来、現実に実際の問題に即して、自分はいわばそういったことを「批評の軸」として使ってきたと思う。
ところでこのことは今、脳科学の話題として、身近に読むことができる。脳というのはそもそも好きとかよいと感じてから、それに意味付けを行うものなのだ。だからそういうのは、人間という種がぜんぶ、そうなんですよ、もともと。
ここでなんとなく釈然としないならば、個に帰属していた能力が、種に拡散してしまう、ってことに対する違和感、不快感のようなものじゃないだろうか(けどそれはやっぱり拡散する)。反面、嘱望の「近代の超克」も、案外スムーズに達成できるかもしれない……と私などは楽観してしまったりもする。
ただ脳科学の成果は、阿部先生や蓮實先生のお考えの価値をいささかも減ずるわけじゃない。脳科学のおもしろさは、いわば「メタ」ってとこにある「だけ」なんだと。でも「語り方」は変わるかもしれないですね。「メタ」ってほんとうにおもしろいです。(だけどこれももしかして、「メタは危険な香り」だから、つまり脳が……)
単純な脳、複雑な「私」 | |
池谷裕二 | |
朝日出版社 |
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