2011-04-11

たとえば仙台いちご再建に一万円、というふうに。

募金というのは、もちろん専門の方々が有効に使われるよう努力されているのだと思います。けれども、募金する人にしてみれば、このお金、いったい何になるんだろう? とふと、思わないこともない。駅前で募金の人が並んで声をあげているとつい小銭など入れてしまうけれども、そんなときもふと、頭をよぎるのがそのことだったりします。

寄付というのはそもそも、現地の方に使っていただくもので、出すほうがとやかく言うものではない、としかられそうだけれども、情報というのがこれだけ出回っていて、誰があるいはどの町が、どういう被害状況で、再建のためにどういう支援が欲しいのだということがいろいろなメディアや経路で伝えられれば、助けたい、応援したいという人だって、

ああ、テレビに映っていたこの堤防直せないかな、
もう一回この農業を復活させようというなら応援したい、
この町の仮設住宅の窓一枚ぶん寄付したい、


というふうに具体的に支援したいと思うのは、自然のなりゆきなんじゃないだろうかとも思うのだ。

ウェブや情報処理の発達によって、かつては難しかった多から多へと間違いなくきちんと送るという作業も、格段にシンプルになっているように思う。ましてや多少のインセンティブをつけてでも資金を募りたい人だっているだろう。もちろん国や大きな募金団体のバックアップは欠かせないわけで、そんな下で、むしろ小規模に、個人から同業者グループ、小さな町、学校や子供たちへ直接手渡すような方法はないか。

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