2011-02-16

サザンの石。

コドモの言葉の誤用には、ときどきはっとさせられる。話にのぼったのは「他山の石」でした。「さざれ石」でもありません。

コドモにことばについてなんか言ってしまったりすると、言葉をつかうことの不確かさのほうが、確かさよりも膨らんでいくような錯覚にふと囚われたりもするものだ。

「その感じ」の実用的な使い道ってあるんだろうか? たとえばこれは抜粋ですが……

プルースト──うるうどし──吊し井戸──黒いうど

ところで批評って、その対象となるものを生み出した人が、ほんとうに思っていること、を言い当てるものじゃないだろうか? だって、生み出されるまではその人の頭の中にしか「読者」はいないわけだし。

……などと思ったり。そもそも、これは他山の石という故事成句がわかっているようで、いざ使うとなるといまひとつリアリティに欠けるというところから連想されてきたことという気が、かなりしてきました。

とりとめないです。

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