2010-02-25

矢野顕子さんと香絵博士とアクロバットと

香絵博士は理論物理学者なわけですが、その彼女が「私と同じことを言っている人を見つけた」と言っているとき、その人は、アインシュタインだったり、ニュートンだったりしません。

「アインシュタインだったり、ニュートンだったりしないんですか?」
と聞くと
「そんなに古いわけない」
などと言われたりします。

むしろつい先頃亡くなったバレエ団の団長さんだったり、現役のサーカス団の創設者だったりします。

バレエ団とサーカス団ではちょっと似すぎてますかね。

他の例ということで、こういうともしかしたらご本人に直接おあいしたこともないのにどうだろうとは思うのでありますが、矢野顕子さんのコンサートへ行ったり、映像やインタビューを目にしたりすると、香絵博士に似てるな、と個人的には、思ったりいたします。

いまちょうど糸井重里氏の「ほぼ日」に、矢野顕子さんの「音楽堂」の記事がアップされています。

矢野顕子さんのピアノソロ、レコーディングエンジニア吉野金治(復活)
音楽堂ができるまで。
http://www.1101.com/ongakudo/2010-02-03.html#movie


すごいことが起きている、というリポートだと思うのですが、この全体をよく読むと(というか見るとというか)本人達はとてもシンプルなことをしていることがわかります。自分ができる最高の音楽、いや、自分がこれまでできたよりもさらに進んだ先の音楽をつくろうとしている、ということです。それしかやってないし、それに資さないこと、つまり余計なことはひとつもやっていないわけです。(休憩だって、むろんそのためにあるわけです。)

「それしかないでしょう。」と本人たち思っていて、
もっというと、そういう私たちは「ふつうでしょ」と思っている。

リョーシ猫には、これ、とっても通じます。よく見るから。

ちょっと引用します。

「私はこれしかできないから」
とおっしゃっています。
「だから、これを一所懸命やるんだ」と。
「お店に勤めたこともないし、
 何か物を売るとかそういうこともしたこともないし、
 私は音楽しかできない人間だから」って。
──『ほぼ日刊イトイ新聞』「矢野顕子さんのピアノソロ、レコーディングエンジニア吉野金治(復活)音楽堂ができるまで。」より

矢野さん、以前NHKの音楽番組で、「おおパリ」のイッセー尾形さんとのトークでも、おっしゃってました。(with上原ひろみでした)

実はその時に、この話、香絵博士に振ったんです。

「矢野さんって、音楽以外のことでお金もらったことないんだって」
すると、香絵博士、ぽかんとして、
「私もそうだけどな」
香絵博士の場合はもちろん音楽ではなく、物理(数学含む)になるわけですが。

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