2010-01-26

「人間らしさ」を超えて──アルスエレクトロニカ2。

前々々回に、不気味の谷の話を書いたが、『ロボットは涙を流すか─映画と現実の狭間─』には、ロボットが人間らしいどころか「人間以上の人間らしさを発揮する」と書かれている。(他人事のような書き方をしてしまいましたが、『ロボットは涙を流すか』111ページを参照)

石黒先生からこの話をうかがって私は最初、ロボットあるいはアンドロイドが「人間以上に人間らしい」ということばの意味がわからなかった。

確かにアンドロイド──特にリプリーQ2!──に会うと、あるいは見ると、「人間らしさってなんだろう?」と、考えてしまう。まずアンドロイド自身だってそう考えているだろうと思い(だって人間を相当"まねて"いるわけだから)、いやそういうことを考える機能は入っていないのだから、アンドロイドが考えるだろうところを、見ている私が勝手にもらってくとすると……、などと私は思うわけである。

しかし、このアンドロイドが「人間以上に人間らしい」かな〜? などと思いながらふと石黒先生を見ると、やおら、アンドロイドの肩をぐっと持ってポコポコ叩いたりし始める。「は? むむ?!」などと思っていると、後ろから編集者氏が「ハッとしますよね、そういうの」などと言って笑っている。

そのリアクションにも「そんな……」などと思ってリプリーに向き直ると、今度はリプリーがハッとして首を巡らす動作などを行っている。「む、トリガーは何だったんだろう?」などと思うと同時に、このような私たち人間の一連のリアクションというものも石黒先生の観察対象なのかなあ〜 などと思いはじめる。

──するとこれら登場人物のいったい誰が一番人間らしいでしょう? などという質問を、私は思いつく。誰がいったい……

一般に、人間の人間に対する情報感知・収集能力には実に高いものがあるわけだけれども、アンドロイドと接していると、その分解能・解析能力がやたらと遺憾なく発揮されてしまうようなのである。すると、このようなアンドロイド体験を反芻するうちに、「人間以上に人間らしい」ということが、比較的自然に感じられるようになってくるのである。

ああ、このことを言っているのか、と私は思った。ところが、それだけじゃないのだった。

そう、今回の記事は、前回に引き続き、アルスエレクトロニカ関連のお話である。そのフェスティバルで、ジェミノイドは(人の)死を表現したのだそうだ。それでなくともジェミノイド目当ての来場者で賑わっていたメインギャラリーは、その死に触れ、息をのんだそうだ。「人間以上に人間らしい」アンドロイドの死──このあたりはぜひ本のほうで確認してください。

アルスエレクトロニカ フェスティバル2009の様子はこちら↓
文化庁メディア芸術プラザブログ
アルスエレクトロニカ レポート7 どちらが人間でしょう?
http://media-arts.cocolog-nifty.com/map2009/2009/09/7-ce4f.html


ロボットは涙を流すか
石黒 浩,池谷 瑠絵
PHP研究所

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