2011-05-31

2011年6月の座右の銘。

カエサルのものはカエサルに。

でございます。
いちおうググってみて、ことわざの一覧ページで確認したら、50音順で、この「カエサルのものは……」のつぎが「カエルノ行列」いや違った「蛙の行列」で、蛙は立つと目が後ろ向きになるから、向こう見ずな人の集まり! という解説。うーん、こんなことわざ使ったことないな。「烏の行水」なら知ってるけどな。「カラスノエンドウ」じゃなくて。

2011-05-27

ふりだしに戻る。2011/5の座右。


今突然気づいたのだが──というか、久しぶりに思い出したのだが、というべきだったかも──今月をひとことにまとめる、とか、この本の内容をひとことで、といったことをほとんど自動的に私が考えるのは、これは一種の癖であって、よく考えてみれば「キャッチコピー」というものを書く必要から習慣化したものかもしれない。

キャッチコピーの作法としては、消費者に「届くもの」を考えるので、「要約」では決してないのですけれども。

さて、というもろもろは、実は「今月の座右の銘」の話の前ふりでして。今月を振り返ってみたら自然と浮かんで来たのがこの──「ふりだしに戻る」なのであります。

なんだい格言にも満たないじゃないかと、私も思いますが、誕生月でもあるこの皐月、「ふりだしに戻る」というのがまさにぴったり。そんなことを言っていると、梅雨が駆け足でやってくるのでありますが。

ふりだしに戻る〈上〉 (角川文庫)
ジャック・フィニィ
角川書店
ふりだしに戻る (下) (角川文庫)
ジャック・フィニィ
角川書店

2011-05-24

「何に使うの?」と訊かれないFacebook

たとえばブログ、SNS、Twitter──ウェブの新しいサービスが次々に上陸し、また日本でもさまざまなサービス──ミクシィしかり、GREEしかり──が立ち上がって、そのたびに「何でやってるの?」「使い道がない」とかいったことを言われたりしたのに、そうなのだ、Facebookについては、そういうのが少ない気がするのだが、私だけだろうか。もうそれこそがFacebook最大の特徴!などと思い始めてるくらいであります。

ふだん、どちらかというとあまりネットコンシャスじゃなく、ふだんはケータイメインで暮らしているといった人にも、なぜFacebookだけがしきいが低いのか。(もとは逆に「しきいが高い」サービスだったのに。)

しかも実際問題として、特に使いこなしているというわけでもないのに、「使いこなせてない」と心配しないのはなぜなんだろう。

たぶんだけど、会社や地域で配られた何らかの記入用紙に「なるべく出してください」みたいな感じで登録したんじゃないだろうか。

でもなぜFacebookだけが、「ネットだけどリアルと同じなんだよ」と人々に思わせることができたんだろう?

本とは何か。

宿題で読んでいるこの本↓

ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力 (講談社現代新書)
池田 純一
講談社

はたいへんなボリューム。その中に……

単なる意匠としてのデザインは後景化する。
(中略)
設計≒問題解決としてのデザインが前景化する。

──池田 純一『ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力』より


を読んだところで、あとがきの副題
「ウェブ時代に本を書くということ」
が目に入ってしまう。

ウェブの時代に本を書くことは難しい、とてもインテンシブな試みにならざるを得ない。
──池田 純一『ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力』あとがきより


この「インテンシブ」というのは、どうだろう、「集中を余儀なくされる」というほどの意味だろうか。sigh。

自分もつられてひと息いれて、で、思ったんだけど、本を書くことがそうなるのは、つまり、本の「デザイン(前景のほう、あるいは狭義になるけどタクティクスとしてのデザインというか)」が固定化しているからなんだろう。

一方で同じ本の中で、オープンソースでは「別の行為で生計を立てなければならない(前掲書)」点がよく指摘されることが述べられ、この問題が著者・作品というソースにも敷延できることは折り込み済みだろう。このことはかなり以前、梅田望夫氏のベストセラー『ウェブ進化論』で(きっぱり)ふれられていたのを、鮮明に覚えている。本が手元にないのですが、古い自分のブログに書いた元原稿が残っていて──「『ウェブ進化論』の161ページには、先進国の表現者が「飯を食う」ことについて書いてある」──とある。この件について、このお二人の話し方がとても印象深いのは──もちろん現実に別に本業をお持ちであることとも関係あると思うけれども、この問題は、そのくらいの距離感でないととても議論にならない、という面があって──そんな立場の違いにも、議論へも、配慮がなされているからだ。

書くだけが生業で、などというのは、かつて「そう見えた」だけで、またウェブ時代の本は相当なデザイン力(「単なる意匠」でないほうのデザインですね)が必要になるじゃないだろうか。必要なのは「本とは何か」の想像力。む、といえば簡単だが、ふりかえればほら、本をかぐというパフォーマンスなんかもそのように解読できたり。

2011-05-21

5月の薔薇。



いまだに5月の「月別座右の銘」が浮かばない。ってもう21日も終わろうとしており、五月病とも言えず。

今メディアが注目する研究者の話題

朝日のbeのトップに、東京大学の村山斉先生が、掲載されていたのが今日のこと。記事によれば、ご著書は25万部の売れ行きとか。beはいろいろな方が登場するのに、一般的であり個別的であるというバランス技の記事。

一方、先日、5/19にほぼ日で連載が終わった、MITメディアラボ副所長、石井裕先生のインタビュー。来日(!? まだ滞在中だったかな?)の時のたいへんな盛り上がりも記憶に新しいところです。さてこれは、おそろしく短く言うと、糸井氏がMITまで行って石井先生と卓球してくるという記事。ついでにこれまたおそろしく細かい話で恐縮ですが、

メディアラボのような研究室で、
「デモクラティック」なんて言葉を
使おうと思ったのは、
先生がオリジナルなんですか。

──ほぼ日「石井裕先生の研究室。」3 糸井重里氏の言葉より引用

といった部分を残すところが、ほぼ日のバランス、別名、糸井氏の「そうだよな」なりと、またこちらも味わうこと深し。

2011-05-19

毎日写真館!?

最近、ただ写真をアップしてるだけ、という気もしますが。

2011-05-14

子供に買ったおもちゃにはまってしまう。

このとっても粒子な感じが(豆っぽくもあります)、なぜかはまってしまい。


混ざってるのを、オレンジと青にわけるだけの遊び。100均で買ったのですが、結構あそんでしまいました。。

2011-05-06

おや、Edgeがサイトリニューアル!?

ちょっと雰囲気も変わって、印象としては、山岳から広場へ、という感じ。

OLD
NEW

2011-05-05

名付けることと「東日本大震災」

2011/05/04の夕方にgoogle.co.jpで検索したヒット数。
地震の名称と、震災の名称は異なるものの、どの名が多く使われているか、たいへん興味ぶかい。

"東日本大震災"
約 27,100,000 件 (0.14 秒)
命名:日本政府閣議、2011/04/01

"東北地方太平洋沖地震"
約 25,100,000 件 (0.28 秒)
命名:気象庁、2011/03/11

"東北関東大震災"
約 23,000,000 件 (0.30 秒)

"東日本大地震"
約 4,050,000 件 (0.18 秒)

"東北・関東大地震"
約 3,390,000 件 (0.22 秒)

"東北・東日本大震災"
約 28,800 件 (0.13 秒)

"東北・東日本大地震"
約 12,100 件 (0.07 秒)

2011-05-01

ニュー・ドキュメンタリー展へ行った。


ホンマタカシ氏の写真展へGO。写真というものが持つ情報量にはあらためて驚愕するのだけれども、これも写真がというよりは、そこに読み取るひとの脳こそが、と説明しはじめてもよいのかもしれない。などと思ったり。