2009-06-22

ロボットに感情?


今日は稲邑先生に取材の方が来られて、久しぶりにロボットのお話をわきから拝聴した。いろんなお話が出るなかで、例のミラーニューロンなども話題にのぼったのだった。

ところで、よくロボットというと「感情を持つようになるのか?」という疑問が寄せられることがあるのだけれど、私はどちらかというと、今までどうしてそういう連想が浮かぶのか、よくわからなかった。たとえば2001年宇宙の旅のコンピュータHALのように、人間を凌ぐ「頭脳」とか「意志」とかを持ったらどうしよう……これは私にも発想できる。しかし「感情」というものを設計していると聞いたことはないし、設計するようなものかもわからぬし、設計してなんかいいことあるのかどうかもよくわからない──というようなものがどうしてビルトインされていると考えるのだろう?

ところが今日、デモに登場した研究用ロボットが役目を終えて引き揚げるのを目にして、それから先に説明のあったミラーニューロンという人の心の働きについて示唆多きものを参照するに及んで、ははん、もしかして、と思い当たる連想が見つかった。

つまりですね、当然のごとく大事にされているロボットが、マフラーみたいにケーブルを首に巻いてもらって、さあ帰ろうという雰囲気になったら、私のこころには、このロボットに対して、「なんてかわいいんだろう!」という「感情」がわき起こったのである。そうなのだ。マトリョーシカでもそうなのだけれど、人間が「ひとの顔」と認識するものがつくと、それは単なる「物」ではなくなるのである。……と、つぶやくと、稲邑先生によれば、サルの脳をしらべた実験でも、顔に反応することが確かめられているのだそうだ。なるほど、そうか、そうか、と思いながら……これを一歩進めると、この私の中にわき起こっていることが、相手のロボットに起きていないはずがない(起きてませんってば)ということになり、そこから「ロボットに感情?」という疑問が生じるのではないだろうか?

「ネコに感情?」(これならあります)

しかしロボットに感情が発生すると考えるのは、ずいぶんむずかしい考えだと思う。ひとにとっては、ロボットがいろんなことを理解していくと、それがそのうち感情になっていくように思われるのだろうか? と、自分の考えをあやふやに辿っていくと──感情とは、もしかして、わからないことをも感知してしまう、人(あるいはある種の生物)の力なり方法なのかも、と思えてきて。

ロボットのおへそ (丸善ライブラリー)
稲邑 哲也,瀬名 秀明,池谷 瑠絵
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