昨日の投稿で、ほぼ日にある糸井重里氏の記事を探すのがたいへん、と書いたのですが、というのも──では試しに、ほぼ日の中にある記事のリストで、「糸井重里」の欄を見てください。こないだ数えてみた時、すでに360ぐらいあったと記憶します。
しかもそれは「シリーズ数」であって、「ウェブページ数」ではありません。
したがって、イトイ氏が○○について言っていた、ということをせっかく思い出しても、どのシリーズのどのあたり、ということを一緒に記憶していないかぎり、探すのがたいへんなのだ。
今や……
検索によって、自分が欲しい情報が、行ったこともない場所にあっても取り出せる。家の中でケータイがなくなっても、家デンでケータイにかければケータイがここだと叫んでくれる。
けれども家の中でちょっとしたメモだの本だのを探すとき──ほぼ日の記事探しは、これに似ているのでは?
しかもそれがフツーの家という規模でなくなってきたら──昔の村のお大尽の蔵、みたいになってくるのかしらん。そうするとやはり、誰かが江戸川乱歩みたいに整理しようと思うのだろうか?
2011-01-30
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