広告の文言の部分を「コピー」と言い、それを書く人を「コピーライター」という、あるいは呼んだのですが、コピーって、要するにその商品を買ってもらうためにあるものです。だからかつて、読み手に(消費)行動を促すものだという点では、新しいというかおもしろいところがあった。
けれども、今あらためて考えると、語っている内容と、行動──つまりこの商品を買ってもらおうとする行為──とは別々なものであって、コピーとは、そこが分かれてしまっている、というものでもあると考えられます。かつて仲畑貴志氏が生んだ(生まれたときから伝説的な)コピー「ベンザエースを買ってください」を糸井重里氏が絶賛したのは、こういった意味合いを含むと思います。
今、コピーライターが効率よく伝えようとして選ぶコトバが、かえって伝わりにくくなっているのではないか? コピーライターはまず手癖を置いて、受け手にどんな行動を促そうというのか、書く行為の目的をはっきりさせるべき(自分を省みて)。そこさえ明確になれば、けっこういろいろと役に立つのだから(……自分で自分を応援!?)。
なんかですね……テキスト情報というものが、あまりにも当たり前になってしまって、その中でなんとかプライドというか自意識というか、何だろう品格なのか正気なのか、何か自分でこれでいいと思えるようにしよう、というところばかりに血が回ってしまって、別にどうってことないことひとつ書くのにだっていろんなやり方があるってことを忘れつつあるような気がする。
Still, I don't claim to be the exclusive authority on this topic; if you don't like what you read here, write your own.
──How to become a hacker by Eric Steven Raymond
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