そろりと再開してまだ1カ月足らずの手帳活用、しかし早くも飽和して、やっぱりノートがなくちゃ、という感じになっております。が、それは手帳の機能としては、むしろ古典的に、おり込み済み、なはず。
さて、ところで手帳についてどこということなくウェブを眺めていたら、要するに、「なんでいまさら手帳なんか使っているのか」という御意見もやっぱり存在して、またそれに対して共感と、「いやそうは言うけれども」という反対の御意見とがあるようだ。
ま、往々にして、平行線になりそうな議論か……とも見えるわけでありますが、と、ふと考えてみると、この平行線でお互いどうしてもわかり合えないというところに、もしかすると手帳を使うよさがあるのかもしれません。
私もスケジューラはパソコンの中というよりもクラウドにあって、手帳ではほとんどスケジュール管理はしていない状況。そこに手帳が入ってくると、確かに面倒というか、違和感を起こします。
手帳とクラウド──この二元なのが、(もしかして「脳」に)よいのでは?
なんか手帳というのは元々そういうところを狙っているような気がします。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿