あの「ほぼ日刊イトイ新聞」から、糸井重里氏のコラムや日々の原稿をまとめたセレクト集が、書籍のかたちで年に一回発行されているのをご存知ですか? 今年のは『ともだちがやって来た。』というものなのだそうです。(昨晩リョーシ猫(現物)に起こされて、ふらりとマックを起こしたら、いつの間にかそういう記事を読んでいたのであります。)
この編集を担当されているのはほぼ日・永田泰大氏。第1冊目のタイトル『小さいことばを歌う場所』が、私の大好きな「天使も踏むを恐れるところ」を思い出さずにはいられず、そんなこともあって、ことによったら見当違いかもしれないんだけど永田氏に共感してしまった──というふうに、私はこのシリーズ本と出会いました。
という次第から、今回、この3冊目の出版にあたり、
まずは永田氏のアナウンスが聞きたかった。
この本は、買って読めば
(というか以前のは夫が買って家の棚にあるわけだが)
すばらしいことはわかっているけれども
私が読みたいのは永田氏のアナウンスだったのです。
それはこちらで読めます。
http://www.1101.com/books/friend/index.html
読んだら、返歌を書いてしまった。
あまあまのコピーが
敬愛を、いや絶賛を、露呈している
そんなにうまくまとめられちまうくらいなら
ここまでやってこなかっただろう
もしそれが現実ならば
きっとおれじゃないに違いない
まとめられたことのない巨人は
そこで自分をふっと手放す
ここらで、ご本人のことばを聞こう。
「福笑い」みたいなものなのかしらん。
だから、ぼくは、平気で、
「おもしろいなぁ、これ」などと、
読みふけってしまうのです。
──ほぼ日「著者、糸井重里からのご挨拶」
ああ、この4行で、コピーの教科書一章分は、かるくありそう。コピーライターのみなさん、写経のご準備を、でございます。一方、こういうのはあまりにも王道ですきじゃない、「コピーライターを3年やって、慣れ、すらすら書いちまってるコピー」ではないか、という向きもあるかもしれません。ところで、そう思いながら突然気づいたのですが、糸井氏は自分のことを言うときには、コピーの教科書、王道になる傾向があるように思います。逆に言うと、ほぼ日のアナウンスの時、自分の本の出版についてといった原稿は、コピーのお手本として要マークと言えるかもしれません。
さて、そんなことより
「福笑い」と名付けるのは、神業であります。
奇しくも昨日は原監督が代打逆転サヨナラ3ランを
「かみわざ」と呼んだそうですが。
で、なおも思ったのですが、それを「福笑い」と名付ける神業はしかし、「かるた」に似てませんかね。すると、これは、マザーグースの谷川俊太郎に通じるものが少なからずある。(なぜ一方が上毛かるたで、他方がマザーグースかという違いは、むしろ少しも気にならなくて。)
ところでこれは、似ているようだが「吉本隆明」にはつながらず、「吉本隆明」は案外「池谷裕二」科学ものにつながるのかもしれない………などと、憶測はいろんなところへ広がっていくのであります。
ところで今回の本のタイトル『ともだちがやって来た。』もまた、感慨深いです。いやね、きっとこの言葉を味わい尽くす一冊なんですよ。花冷えの、風の強い朝の、温かみを取り戻すここちであります。
2009-04-26
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