とある日。
私が書いた英文をリョーシカが「何を言っているのか、意味がわかりません」とおっしゃるので、「そんなふうに言っては人をdiscourageするだけで、よくない指導ですよ」と大反撃してやると、「あなたが書いた英文ですが、人がそう言っているのを聞いたことがありますか?」とのこと。
「ひと、って誰ですか?」
「英語を話す人です」
「むむ、確かに、ない……」
「でしょう」
そんなあ。だって言いたいことに合う英語が見つからないんですよぅ。
「自分が言いたいことばかり考えてもだめなんですよねー」
とリョーシカ。
「英語を使う人が、そう言わないということは、通じそうもないでしょう? それよりも既に聞いたことのある言い方、文を使って、自由に言いたいことを言えばいいじゃないですか」
なるほど。
「英作文じゃないんです、「英借文」なんですよ」
これでわたしが思い出したのが、かつて英語ラーニング・ウェブサイトで見た巻頭言だ。そこには、英語を学ぶなら、間違った英語を読み書きしてはならない。正しい英語だけを読み書きしなければならない、と書いてあったのだ。そんなあ。これはまるでショウペンハウアーの「良書を読むための条件は悪書を読まぬことである」じゃあないですか。
しかしながら考えてみれば、子供たちはたぶんオトナを真似ることで、言語を獲得してきたはずである。オトナは、家族の他にも、テレビだったり、本だったり、お友達の兄・姉だったりもしただろう。
「英借文かあ」
と、考えが一回りしたところで、あたりを見回してみると、あれっ? リョーシカはまたどこかへ出かけちゃっていたのでありました。
2012-04-18
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