観劇から少し時間がたって思い出すのは、アンドロイドの「そうですか」とか「はい」とかいったリアクションのことばや様子であることが多い。
ところでこのお芝居は、アンドロイドが人に「朗読」してあげるというシーンで始まる、約20分ほどの短いものだ。そこでまず、観客は「朗読なのか」と息をのむ。なるほどこれは、人類が作った人類が読んで価値あるものは電子化して、フリー化して……という発想のかなり先をいくように思われる。オーディオブックではまだ遠い。誰かが読み聞かせをしてくれる、「朗読」にはそういうケアが入っている。──と、ことほど左様に、私はいつのまにか、「朗読」とはどういうものか、を検討することになる。文学の諸形式、アートの諸形式が、ロボット/アンドロイドによって、再定義されていく。
しかし、これは実は上演の後、石黒先生が技術的な課題の話をしているのを聞いて突然気づいたのだが、朗読とは何か、といった定義が──現に芝居の中で行われていくに拘わらず──アンドロイドを可能にしているプログラムそのものの中には書かれていない! のではないか?
たとえば、もし人間の言語の文法や諸規則をプログラムで書き起こして、翻訳機を作ったら、その「言語とは何か」「言語のルールとは何か」は、きっとプログラムの中に書かれているはずであり、それこそがエッセンスであろう。ところが、アンドロイドの場合は、いくらルールを書き込んでも、それ自体はいわば「本質的でない」と思われる事柄の束かもしれない。
言い換えると、人間の叡知であろうと予期されたものが、「本質的でない」と思われる事柄の束かもしれないのだ。じゃあ人間(の叡知)って何なんだろうか?
さあ、ここでもう一度石黒先生の本へ戻ろう。あるいは舞台の上の出来事を思い出そう。
「で、あなたはどう思う?」と、舞台の上の「人間」役の女優さんが言う、アンドロイドに向かって。
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